下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
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キリスト者の自由
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CSのお礼にといただいた佐藤錦。
手をかけて作られたこれも作品ですね。
美しい。



暮らし回りを書いているこのブログには、
ちょっとめずらしいタイトルですかね。
最近、このテーマを考えさせられる場面が多いもので。

たとえば、
「お酒を飲める自由」ではなく、
「お酒を飲まなくてもいい自由」もある、
という発想の転換。
あるいは、
「やりたい放題にやる自由」と
「やることを選んでいく自由」との違いとか。
このあたりをつかめるまで、
信仰を持っても、案外、じたばたしてしまうことがある。
ねばならないという思い込みによって、
自分で自分の心を窮屈にしてしまったり。

思い浮かぶ聖書のことばは
「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、
自分の心で自分を窮屈にしているのです」


もっと安心していいんだよ、
と言ってあげたい人がたくさんいる。

最近読んだ本と、
考えていた「自由」についてリンクした。
作家の保坂和志さんのエッセイの中にある
「小説の自由」という小文だ。

言い得て妙、という感じを忘れたくなくて、
引用させてもらいます。
(この程度の長さなら引用許可ですよね?)


サッカーや将棋にかぎらず、すべて競技にはルール=拘束がある。
逆説的に響くかもしれないが、卓越した能力を発揮して、
自由自在に動き回れると見える人ほど、
体や思考を競技それぞれの拘束に順応させている。
つまり拘束の中にいる。
拘束に体や思考を順応させることをトレーニングといい、
端からはトレーニングは退屈で不自由きわまりないように映るのだが、
その「不自由」は自由を獲得するための道のりだ。

(省略)
大事なことはルール=拘束のある競技において、
自由とは不自由の対立概念ではなく、
不自由のずっと奥にある状態のことだと知ることだ。
競技者は拘束に対して主体的でなく他の誰よりも受け身になるから自由を実現できる。
創造性や想像力は何も拘束がないところから生まれるのではなく、
拘束によってもたらされる。

(『猫の散歩道』中央公論新社より)

スポーツでも絵画でも小説でも、
何かを作り上げていく、ということにおける
拘束と自由の関係って、
保坂さんの言っていることが通じると思う。
それは人生を作り上げるという過程においても同じかな。
私たちは神の作品、とあるものね。

聖書には、こんなことばもある。
「すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません」


何でもしてもいいけれど、
それが自分を損なうリスクもあるよ。
あなたは尊い存在として作られたのだから、
あなたの行動、
あなたのことばで、
自分自身を汚してしまうのは残念なこと。
とまあ、平らに訳してみるとこんな感じ?
自己憐憫は自分を損なうだけだし、
嘆きや不満は、
聞いた人の心を傷めるだけではなく、
発する本人の心をもどんどん傷めるものね。

結局、私たちキリスト者が選びとるときの指針はここにある。
「こういうわけで、あなたがたは、
食べるにも、飲むにも、
何をするにも、
ただ神の栄光を現すためにしなさい」


この「しなさい」はねばならない、ではない。
やっぱり自由意志による決意と選択の問題だ。
この自由がわかると、本当にシンプルだ。
シンプルは身軽だし、嬉しい。
この嬉しさを言い換えれば
「栄えに満ちた喜び」。
これがキリスト者の自由の本質だろうと思う。

最後はやはりこのことばかな。
「キリストは、自由を得させるために、
私たちを解放してくださいました。
ですから、
あなたがたは、しっかり立って、
またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」


牧師館のお茶会ならぬ話題でしたが、
たまにはまっすぐ聖書について語るのもよろしいかと。


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by Annes_Tea | 2011-07-04 10:13 | 牧師館で暮らす
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