下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
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犬を見送る♯3 犬の火葬をどうするか
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いつだって車が大好きだったメル。


メルが死んだらどうしよう。
気持ちの問題ではなく、火葬の話だ。
メルが血管肉腫だとわかってから、
メルの骨をどうすればいいのかを考え始めた。

いやしてくださいと祈っているのに、
夫に尋ねるのは申し訳なくも思ったが、
死んだときのことを考えておくのは、
プレ・グリーフワークとして私には必要だった。
家族の一員がいなくなることを、
少しずつ受け入れていく。
実際に死を迎えたときに慌てないように、
後でこうすればよかったと後悔しないためにも、
きちんと考えておこうと思っていた。

犬は「死ぬ」のか「亡くなる」のか。
微妙なことばの使い分けにも戸惑った。
犬は犬。犬という家族。家族だけど犬。
少々クールかもしれないが、
私のスタンスはこれだった。
だからあえて「死ぬ」ということばを使うようにした。
でも、周りはクリスチャンが多いので、
「犬が召される」と表現する人も少なくなかった。
日本語の正誤はともかく、
そういう気遣いに私はひそかに感謝した。

飼い犬の死を体験したことがある ?
会う人ごとに尋ねてみると、
子どものころに経験した人が少なからずいて、
そのときの衝撃が忘れられず、
もう二度と犬は飼わないと決めている人が多かった。
庭に埋めた人、
保健所にお願いした人、
動物霊園や寺にお願いした人と、
選択肢は十人十色だ。

問題は骨のようだった。
焼いた骨を手元に置きたいかどうか。
もしも必要ないならば、保健所がいちばん安上がりだ。
公共の焼き場で、
ペットを受け入れている自治体を探すのも難しくない。
ただし、市町村によっては、
住民以外が依頼するのは無理だったり、
値段が何倍も高くなる。
骨を戻してもらうならば、
東京近郊、少し遠くの方まで足を運ぶ必要がありそうだった。

墨田区民は昔から、
両国にある回向院に持ち込む人が多いらしい。
メルがお世話になった動物病院でも、
回向院と多摩動物霊園を教えてくれた。
どちらも寺。そうだよね、寺。
調べてみると、読経代だとか、卒塔婆代だとか、
仏教用語が飛び交っていた。
立会い葬儀、合同葬儀、などとあり、
犬に「葬儀」ということばを使う感覚が私にはなじまない。
それに、値段の高いこと。当然、商売なのだ。

メルの名前は本当はメルキゼデクだ。
旧約聖書に一箇所だけ出てくる王さまの名前で、
キリストの雛形だと言われている。
平和の王とも呼ばれている。
教会の犬だもの、読経ではかわいそうだし、葬儀もいらない。
そもそも、葬儀というものは、
死者への敬意とともに、
生きている人たちのグリーフワークの意味合いが強い。

私たちの教会は、
千葉の印西にあるキリスト教墓地にお墓を持っている。
入りたい人は、教会員ならばだれでも入れることになっている。
教会には通わなかったけれど、
亡くなる前日に洗礼を受けて、
教会のお墓に入っている方もおられる。
お墓といっても復活と希望の象徴の場所だから、
十字架の並ぶその地は穏やかで明るく、
ピクニック気分で年に一、二度はみんなで出かける。

さすがは犬好きの教会だけあって、
メルも教会のお墓に入れればいいよ、
と教会の役員が言う。
家族の一員だった動物たちが、
ともにお墓に収まるのも面白いかもしれない。
その寛容なアイデアに微笑んで、
ありがとうございます、と私は答えた。
入れるにしても、
だれか人間が入るときのついでになるだろう。
あるいは、私たちが入るときかもしれないし。
そのころには、いろんな人でお墓の中は賑わっているだろうか。
いえ、賑わっているのは天国でなければ。

犬も天国に行けるのだろうか。
神学的な論議をしても仕方のない問いなので、
聖書に書いていない疑問は、
神さまの領域としてお任せすることにしている。
私はヨブ記38章にある、神さまがヨブに答えるこの表現が好きだ。

「ここまでは来てもよい。
 しかし、これ以上はいけない。
 あなたの高ぶる波はここでとどまれ」

ヨブ記の最終章で、
ヨブの方はこんなふうに神さまに言っている。

「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、
 だれでしょう。
 まことに、私は、
 自分で悟りえないことを告げました」

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話を戻すと、火葬のことだった。
餅は餅屋だ。
キリスト教専門葬儀社に尋ねることにした。
もちろん人間専門の葬儀社だ。
懇意にしている方に連絡をすると、
奥さまが大の犬好きだとわかり、
丁寧に応対してくださった。
自分の家の犬が苦しまずに最期を迎えられるようにと、
毎回、断食して祈るという。
いったいこれまで何匹の犬を見送ったのだろう。
メルにも「そのとき」が来たら、
笠間にある焼き場まで運び、
後日、骨を届けてくださるとまで申し出てくださった。
笠間の焼き場は、良心的な民間の施設だという。
笠間は焼き物のまち。
煎茶道を学んでいた関係で何度か訪れた。
少しはゆかりのあるまちだ。

「そのとき」の算段がつき、人間たちはほっとした。
メルの状態と言えば、
寝たきりというでもなく小康状態が続いていたが、
長くはないのだとどこかでわかっていた。
それでも、神さまからのプレゼントは続き、
火葬の見通しがついてから「そのとき」まで、
1週間はいっしょに過ごすことができた。

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薬を嫌がるので、こういったおやつにくるんであげました。


「そのとき」が来る前日、
メルがごはんを食べなくなった。
薬を砕いて、チーズや好物の牛タンのおやつに混ぜ、
あの手この手と試してみたが、
食べるということに、力尽きているようだった。
あのメルが、食べない。
いつだっておやつを欲しがっていたメルが。
いまや、お腹は膨れ上がっていた。
かわいそうに。血管が破れ、血液であふれているのだろう。
ひどい貧血状態なのかもしれなかった。

病気になってから、
メルの声を聞くことはほとんどなかった。
それが、この日、例の「ぴよぴよ」を
か細い声で繰り返した。
私たちのどちらかが駆けつけると、
安心して鳴き止んだ。
一日中、そんなことが続いた。
後で思えば、きっと不安だったのだろう。

後日、獣医さんが教えてくれた。
犬は自分が死ぬ時をちゃんとわかってるのだと。
犬は今を生きている動物だから、
明日どうなるかと不安になるわけではない。
今、ここにいるよ、とメルが言っているような気がしていた。
わかった、わかった。
私たちも、今、ここにいるよ。

「そのとき」はあっけなかった。
土間に続く夫の部屋のドアを開け、
いつでも異変に気付くようにしていた。
もしかして、息をしてない ?
慌ててふたりで駆けつけて、
メル、メル、と呼びかけた。
メルは大きく2回息をしようとしたのだが、
そのまま呼吸が止まってしまった。

びょおびょお泣いた話は、
このブログにすでに書いたので、
火葬の話に再び戻る。
夫は用意してあった2枚のダンボールを使って、
メルを運ぶ棺を作った。
特大のおしっこシートを敷き詰めて、
メルをきれいに拭いてから中に入れた。
おしりも、おなかも、私の好きな耳の後ろも、
みんなまだ温かかった。
そのぬくもりに、泣けて泣けてしかたなかった。

私は人間の葬儀のときに朗読する黙示録を開いた。
夫は感謝のお祈りをした。
メルを与えられたこと、
その時間のすべてが感謝だった。

「見よ。神の幕屋が人ともにある。
 神はかれらとともに住み、
 彼らはその民となる。
 また、神ご自身が彼らとともにおられて、
 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
 もはや死もなく。
 悲しみ、苦しみもない。
 なぜなら、
 以前のものが、
 もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:5-4 )

「そのとき」が来たので、
葬儀社の知人に連絡をすると、
翌日、私たちが茨城の結城市まで届けることになった。
1日半の間メルを保冷しなくては。
ありったけの保冷剤をジプロックに詰めて、
ダンボール棺の隙間に入れた。
もちろんそれでは足りないので、
ドライアイスを買いに行くことにした。
墨田には適当なところが見つからず、
浅草の氷屋に電話をして予約した。
ドライアイスは、換気さえ注意すれば24時間持つ。
バイクを飛ばし、夫は3㎏のドライアイスを持ち帰ってきた。
店といっても小さな倉庫のような建物で、
何度も呼ぶとようやくおばあさんが出てきたという。

ダンボール棺の中に横たわるメルは、
眠っているようにしか見えなかった。
メルの顔の部分だけを扉のようにダンボールに細工し、
私も夫も、扉を開けては、何度も何度もメルの顔をのぞいた。

翌朝、メルを届けるドライブとなった。
その前に、白い花を棺に入れようと近くの花屋にふたりで行った。
店頭には菊と榊ばかり。下町の花屋だ。
いえ、白い菊ではなく。
あとはトルコキキョウと白百合しかなかった。
どちらもメルのイメージでない。
こういう時は、夫の好きな花にすればよいと思って、
ビタミンカラーのガーベラを提案した。
明るくて、楽しくて、メルらしい。
夫も賛成すると、黄色いガーベラを10本選んだ。

本当に車の好きな犬だった。
病院に行った最後の日、
降りたくないそぶりを見せて、
いつまでもシートの上に伏せっていたことを思い出し、
そんなひとつひとつが車に乗っていても、
涙につながった。

結城のまちは遠い。
本当なら、この日は常磐道を通って
教職者研修のため、メルも乗せて塩原まで行っていたはずだ。
それがメルの棺を運ぶ旅になろうとは、
2週間前までは、思いもよらないことだった。
今を大切に生きなくては。
メルが手渡してくれたメッセージだった。

外の風景がどこまでも水田に変わった。
約束した場所で、犬好きの奥さんが待っていた。
メルを彼女の車に移し替え、本当にお別れとなった。
彼女が、大きなカサブランカを抱えきれないほど手渡してくれた。
イースターには、百合の香りに慰められる。
そんなことを書いた昔のエッセイを覚えていてくださったのだ。
人の優しさに、涙が出る。

帰りの車の中にメルはいなかったけれど、
代わりに百合の香りが満ち満ちていた。
復活、永遠の希望の香りだ。
そしてこのブログを書いている今も、
リビングは百合の香りであふれている。

犬という家族を失ったと同時に、
たくさんの人たちから愛を与えられた。
失うと得る。
これが神さまの愛の特性なのだと、
メルが残していったメッセージがここにもある。

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メルの耳が好きで、よくこの後ろ姿を撮っていました。
車の窓を開けると、顔を出して眺めるのが好きでした。
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これも同じアングル。
ボーダーらしく、耳をぴっと立ち上げて周りを観察します。
歩くと耳がふんふんと揺れ、
私は天使の羽のようだと思っていました。
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さよなら、メル。


こころに届くことばたち。好評発売中のエッセイです。



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by Annes_Tea | 2015-07-03 21:01 | ボーダーコリーのメル
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