下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん

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知られざる墨東キリシタン史を歩く(キュックリヒ女史をめぐる旅)
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e0165236_237385.jpg「知られざる墨東キリシタン史を歩く」ルート例

東武伊勢崎線・鐘ケ淵駅西口出発→西口商店街(編み物教室看板、旅館や蕎麦屋など古い家屋が点在)→鐘ケ淵紡績(カネボウ)跡地(戦前、敷地内に鐘ケ淵福音教会、教会付属幼稚園や子どもの家、宣教師洋館、木造牧師館あり)→堤通り(鐘ケ淵紡績のレンガ塀)→たぬき湯通り→旧玉ノ井(赤線跡)→墨田聖書教会(戦後すぐ、コンセットハットを再生した会堂)


わたしが暮らす鐘ケ淵のまちは、隅田七福神のルートになっている。多聞寺から、白髭神社、そして向島百花園に向かうのが定番のようだ。新年はもちろんのこと、隅田川の桜が見ごろを迎えると、小さなリュックを背負った年配の夫婦連れが駅を降りる。ミニ鳥居や地蔵がマンションの足元にまで立っている古いまちだから、隅田七福神以外にも寺や神社にまつわる昔話は豊富にある。

ところが、教会となると、このまちで昔話を聞くような機会はまずない。なにしろ数が少ないのだ。わたしたちの教会は戦後すぐに建てられたので、それなりに歴史はある。でも、やはりその歴史を語れる人はいないし、写真や日誌といった記録も残っていない。いちばんの原因は、アメリカ人宣教師が教会の土台を作る前に、体調を崩して自国に帰ってしまったためだ。その後も、次々と牧師が来ては何年かで立ち去ってしまったらしい。それだけ宣教にはむずかしい土地だったということかもしれない。今では手に入るのは、切れ端のような話だけ。それでも何とかそれらをつなげていくうちに、ドイツ人のキックリーさんという名前にたどり着いた。

キックリーさんってだれなんだろう? この疑問を発端に、鐘ケ淵のキリスト教関連の歴史を探る旅を始めた。残念ながら、証言者としての建物は残っておらず、発掘したのは目に見えない物語だけである。そして、それらを少しずつつないで勝手に作り上げたのが「知られざる墨東キリシタン史」なるまち歩きのルート。福の神を回って歩く七福神めぐりを少しばかり意識して、「恵みの地図」を歩くというほどの意味だ。初めてコースをお披露目したのは2年前。向島の「こぐまカフェ」で企画したまち歩きのひとつとしてだ。興味のある人が何人か集まれば、個人的にときどき案内をしている。

洗礼を受けたとき、自分が日本ではマイリティになるということなど少しも考えていなかった。ただし、場所が変われば、クリスチャンはマイノリティでも何でもないのだけど。クリスチャンの両親のもとに生まれた10代の青年が、この国での生きづらさという内面的な問題を克服したのは、韓国に旅に行ったのがきっかけだったという。韓国には教会は当たり前のようにあるし、クリスチャンも多い。現大統領の李明博も、俳優のペ・ヨンジュンもカトリックという違いはあれどクリスチャンですものね。

マイノリティということに関して言えば、以前、若者に人気の歌手、ステイシー・オリコのインタビュー記事を面白く読んだ。彼女はクリスチャン家庭に育ち、最初はクリスチャン・ミュージックレーベルからデビューし、自らも宣教師になりたいと思っていたという。日本ではクリスチャンが少ないと聞いて、「マイノテリィってクールよね」と答えている。ふうん、クールか。その考え方こそ、まさにクール!




以下、昨年の夏の終わりのツアーの様子を何枚かご紹介します。参加してくださったのは、墨田区と台東区の牧師先生や宣教師のみなさんでした。
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「鐘ケ淵はカネボウの城下町だった」という話をしてくださったのは、地元の郷土史研究家のSさんです。カネボウつまり鐘ケ淵紡績の発展と運命をともにしたまちという意味では、その通りかもしれません。カネボウはついには解体してしまい(クラシエという名前で一部残っていますが)、高齢化したまちは典型的な都市の過疎へ、商店街はシャッター通りになり・・・まるで炭坑町のようです。再びまちが活気づくことを願い、日々祈るばかり。

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西口にある商店街は、カネボウの最盛期にはおおいに賑わっていたそうです。働いているのは女工さんが多かったので、編み物教室が駅前にはいくつかあったそうです。

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商店街で女工さんたちに人気だったのは、大福を売る和菓子屋さん。カネボウの敷地内に、向島の老舗「志満ん草餅」まで出店していたという話もあります。当時の面影はどこにもありませんが、ところどころに古いたたずまいの建物を見つけることはできます。

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この広い敷地だけではなく、堤通りをはさんだ向かい側の土地もカネボウの所有だった時代がありました。そこには、クラブハウス的な洋館があり、お花やお茶など、さまざまなお稽古を学ぶことができたとか。女工さん相手のカルチャーセンターのようなものですかね。

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コンクリートの割れ目からわずかに見えるレンガが、当時の建物の名残です。綾瀬橋の方には、まだ同じようなレンガを使った古い建物や蔵などを見ることができます。

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当時を知るお年寄りが、カネボウという大規模工場が建てられたことによって、まちが経済的に潤うだけではなく、精神的にもよいものを残してもらったと話していました。今では、カネボウと鐘ケ淵のつながりを示すものは、この一枚の立て看板くらいなものです。残念ながら、日本で初めての託児所や幼稚園を敷地内に開いたと言われるドイツ人女性のことは何も書かれていません。その人こそ、通称「キックリーさん」こと、ゲルトルート・エリザベス・キュックリヒ女史、わたしが探し求めていた宣教師です。関東大震災前に来日し、以来、カネボウ内の洋館で暮らしていたようです。戦後、放火の犯人にしたてられてこのまちを追い出されたというウワサが残っていたのですが、調べてみると事実はまったく違っていました。

彼女は日本の幼児教育の祖とも言える人で、大学で幼児教育を学ぶ学生たちの指導をするなど、その筋では有名な方のようです。戦後は、戦災孤児の面倒をみるために埼玉の加須市に移り住み、児童福祉施設を設立しました。献身的な働きが認められて、加須市の名誉市民にまで選ばれています。生涯を日本で暮らし、日本政府とドイツ政府から、それぞれ勲章を授与されてもいます。こんなにも社会に認められるよい働きをしたにもかかわらず、長年暮らした鐘ケ淵では無名に近く、看板に一行もないことはある意味ナゾです。

キックリーさん(日本人はキュックリヒと発音できなかったようです)から聖書の話を聞いたまちの人たちがクリスチャンとなり、その中の数人が教会設立の夢を抱き、さらにアメリカ人宣教師との出会いがあり、わたしたちの墨田聖書教会が生まれたということのようです。初穂なる人たちもその子孫もだれなのかよくわかりませんが、今わたしが教会で暮らしているということは、彼女の蒔いた種は育ち続けているということですよね。キックリーさんという女性については、これからも少しずつ調べていこうと思っています。

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旧玉ノ井、もとは特殊飲食街(赤線)です。丸みを帯びた建物が、いわゆるカフェーの特徴。ずいぶん取り壊されましたが、窓の鉄格子などを見ると、なんとも言えない気持ちになります。売春禁止法の成立や、働いていた女性たちの自立訓練やケアなどに、救世軍を筆頭にクリスチャンたちが大きな働きをしたそうです。



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by Annes_Tea | 2009-02-20 13:22 | お知らせ(イベント他)
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