下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん

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カテゴリ:牧師館で暮らす( 77 )
病いと向き合う
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久しぶりにお見舞いに行った。

昔、作家の遠藤周作さん主宰の
傾聴ボランティアのグループに入っていた時期がある。
まだクリスチャンではなく
会社員をしていた悩み多き時代だったので、
人の話を聞かせていただけるような成熟さはかけらもなかったのに、
それでも話を聞かせてもらいたいと思ったのはなぜだろう。

もちろん研修を受けてから実地となるのだが、
私たち新米は、ベテランさんたちとペアになって行動する仕組みだった。
内科や長期の入院病棟ではなくまずは外科から体験を積む。
その病院で外科と言えば、骨折だとか、
時間が経てば治るという患者さんがほとんどだった。
だから、話を聞いてほしいという方は少なく、
結局、花瓶の掃除ばかりしていた記憶がある。

教会に仕えていると病いが身近になる。と言うと、変に聞こえるだろうか。
年齢層の幅広い共同体ということもあり、だれかしら病いを負っている。
また、病いの方のために祈りの要請をいただくことも多い。
とりなして祈ることは、教会の柱とも言えるほど、ひとつの大切な働きだ。

何度も書いていることだが、祈れる人生となり本当によかったと心底思う。
たとえばお見舞いにうかがっても、
祈りという武器なしに、その方やご家族の重荷とどう向き合えばよいのか
きっと途方に暮れるに違いない。

病床の傍らにしゃがみ込んで祈り、また、ご家族と廊下で祈る。
たとえ、ご家族がイエスさまをまだ知らなくても、こういう時には祈らせて下さる。

その場に行けない場合は、離れた場所でその方のために祈れる。
どんなにITによるネットワークが進歩しようと、「祈り」という遠隔操作にはかなわないな。


ゴスペルシンガーの内藤容子さんから教えていただいた動画です。多くの方々にシェアしたい。生きる希望があります。
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by Annes_Tea | 2012-01-17 22:29 | 牧師館で暮らす
今年の漢字は「祈」
e0165236_058096.jpg小金井の教会の女性のクリスマス会で、こんな素敵な手編みのプレゼントをいただき感激。ご奉仕、楽しかったです。ただし、力を使い果たしたようで、帰りの電車の中で熟睡しましたけれど。


夜、神田のカフェで小さなクリスマス会に参加した。
月に一度、クリスチャンのクリエイターの人たちが集まる会で、
じつは私は夫とそこで出会ったのだ。
別件で会っていた宣教師に誘われて、
たまたま参加したその日、夫がギターを弾いていた。
わ、Tシャツの柄がコーヒーカップだ。
それを妙に気に入ったのが第一印象。

この集まりはいったいどれくらい続いているのかしらん?
20年? いやもっと?
私はこれまでほとんど参加してこなかったのだが、
今年はほぼ毎月、出席した。
震災以来、なるべく人とつながっていこうと思って。
被災地の支援に関わっている人も多く、
リアルタイムに現地の話を聞かせてもらうことができた。

今年の漢字は「絆」に決まった。
一年を振り返り、
わたしの頭に真っ先に浮かんだのは
「つながる」ということば。
「絆」を優しく開いた言い方に過ぎないか。
では、今年の漢字、私の場合は?
思いつくのは「祈」という字。
今年は祈ったし、祈るしかなかったし、
祈りの力をひたひたと体験した年だった。
なにより、祈りを通しての出会いに恵まれた。

牧師の奥さんとたちとのたくさんの出会いも、祈りの答えだ。
結婚した当初、
牧師夫人の知り合いは母教会以外ひとりもおらず、
とにかく心細かった。
あまりに思いつめて、
春の夜、牧師館を抜け出したこともある。
行くあてはないから、
隅田川近くの桜の木の下にしばらくたたずんでいた。
いったいこれからどうなるのだろう?
思いあぐねたのも今は昔。

なんか、元気そう。
と、このクリスマス会でも言われてしまった。
うーん、確かに年々元気になっていく。
昔は晴れの日よりも雨の日の方が好きだった。
明るい人よりも、
少しアンニュイな方がカッコイイなんて思っていたわけだ。
アンニュイ! いやはや、これは死語だ。

やっぱりね、
本物の光を毎日浴びているせいかな。

イエスさまの誕生日、うれしい。
今年の25日は、年下の友達の婚約式もある。
ますますうれしい、メリー・クリスマス!

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クリスマス会に参加された方へのスモールプレゼントも教会員の手作り。もてなしの賜物の豊かな教会で、ふだん男所帯の教会に仕える身としては、まぶしくなるほど素敵でした。

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by Annes_Tea | 2011-12-13 01:20 | 牧師館で暮らす
遠くまで来た
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今でも読まれているのかしら? 


やはりひと言くらいは
何か書いておきたいと思っていたのに、
日々は忙しく過ぎ、
ついに12月に入ってしまった。
そう、地下鉄サリン事件の一連の裁判終結について。

地下鉄サリン事件後の日本。
今でも、あのころの不穏な気持ちを思い出すことはできる。
地面の割れ目に入り込んでいくような感覚だった。
そのまま体も心も抜け出せず、
ぽかんと遠い空を眺めているような日々。
井戸の底に座っている。
それがいちばん的確な比喩だと今でも思う。

でも、そんな日々を思い出すことがなくなっていることに、
まず深い感慨を覚える。

遠くに来た、わたし。
シンガーソングライターの友人の曲に
同じようなタイトルがあったっけ。
新しい人生、新しい心で歩んでいる。
これはすごいこと。
まさか、牧師の妻となり、
人のために祈る働きをするなんて。

地下鉄サリン事件の後、阪神大震災があり、
そして、わたしは事件に遭った。
部屋を引っ越し、
ひとり暮らしをたたみ、
叔母のところに居候した。

犯罪被害者ということばも、
PTSDということばも、
ようやくマスコミに出てきたころの話だ。
メールもまだ使っておらず、
ネット検索なんかもぜんぜん。
「犯罪被害者」ということばを新聞で見つけては、
なんとかその仲間たちにたどり着こうとしていた時代だ。

犯罪被害者の会の立ち上げ前から、
会合に参加させていただき、
被害者の権利に関する法律制定のための運動にも顔を出したり。
同時進行で、
心の回復のためにあっちこっちと寄り道を続けていた。

このころひたすら考えていたのは、
「人は自分の手に負えないほどの試練に会った時、
いったいどうすればよいのか?」
という疑問だった。

ライターとして「女性の転機」の企画を持ち込んで、
取材して回ったこともある。
同じように女性たちに人生の話を聞かせてもらうような
インタビューの仕事ばかりしていた。
取材と執筆が回復の手段かと思っていた。
そうして聞いていく中で、
しっくりする答えを見つけられるようにも思っていた。

もちろん、それなりにやっていくことはできる。
でも、どこかでひっかかっていた。
玉ねぎの芯が傷んで周りをじくじくだめにするように、
心の芯が傷んでいるのを欺けないなぁ、と。

あの時代、一緒に話をした人たちが、
テレビにたくさん映っているのを見て、
みんなも遠くまで来たのかだろうかと思う。
それとも、同じ場所に佇んでしまうことが多いのだろうか。

今は会う機会はほとんどないが、
あの時とは違った方法で、
わたしはひとつのことだけは続けていこう。
それは、祈ること。

12月に国分寺の教会から
女性のクリスマス会の講師としてお招きをいただいた。
今回の震災の被害にあわれた方のお話もあるという。
祈りを通して乗り越えてきた女性たち、
あるいは今まさに乗り越えようとしている女性たち、
あるいは井戸の底にまだなお座っている女性たちがいるかもしれない。
12月の出会いにはまた特別な意味がある。
一人一人との出会いが本当に楽しみ。

女性たちに話を聞かせてもらう。
結局、取材をして歩いていたあの時から、
やっていることは変わらないのかもしれないけれど。

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12月だもの。祈ろう、祈ろう! この椅子、神田YWCAの払い下げ。100年経って取り壊されたけれど、別の教会でこうして元気に活躍しています。(すみだではありません)
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by Annes_Tea | 2011-12-01 19:16 | 牧師館で暮らす
ブログは夜書くにかぎる?
最近、メルが登場していないので。犬は毎日同じ食事でも文句を言いません。
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役者のたまごとベテランさんが遊びに来た。
話題はブログに及び、
何を書くかという話になった。
プロの役者なのでファンがいる。
それに、事務所もついている。
つまり、「公」のブログだが、
日々のことを書くから「私」のブログでもある。
公私のさじ加減をよくよく気をつけないといけない。
最初に自分の立ち位置を決める必要がある。
見せたい私で行くか、期待されている私でいくか。
新人さんの悩みどころは、
売り出すイメージを全面に出して「私」は控えるようにということ。
つまり演じて書くのだから、
これが日々のこととなると重荷になるかもしれない。
仕事と割り切る方法もあるが、
ブログにギャラが出るわけでもなく・・・。

一方、ベテランさんの方は、
ブログで人に伝えることは避け続けてきたものの、
時代のニーズを読み、
事務所の方針で始めることになったという。
役者としての実力も立ち位置もはっきりしている人だから、
「あなたらしく」と言われたそうだ。
彼女が自分で決めた方針は
「人の心を元気づけるようなもの」を。

わたしは役者ではないけれど、
このあたりはブログを始めるときに少し迷った。
牧師の奥さん、教会の先生、ライター。
どれも自分の役割だけど、
書くときの立ち位置は奥さんとライターを足して、
場合によってあっちこっちに移動すればよいと決めた。
教会の教職としてのわたしは、
ブログを書くときには少しだけ後ろに控えてもらっている。

ネット社会の中に入り込むと、
この立ち位置が周りとの関わりによって
ぶれてしまうことがある。
これはよくよく注意しておかないと、
思ってもみなかった感情を互いに引き出すことがある。

とくにフェイスブックをかじり始めて感じるのは、
この立ち位置がブログ以上に大切になってくるということだ。
何を目的としてだれとどうつながっていくのか。
このあたりを曖昧にしたまま友だちを増やしていくと
余計なものを背負い込むような気がする。
実際、息苦しくなってアカウント削除をした知り合いもちらほら。
わたしはかなり慎重に使っているので、
夫から見ればSNSに向いていないかも、だそうだ。
確かに。
でも、距離的に離れている人とやりとりできるのは
フェイスブックならではなので、
今のところは現状維持でいこうと思っているが。

役者の世界でも、
フェイスブックはそれなりに活発らしい。
新人さんが、大物さんとやりとりをたやすくできる。
ネットの中ではやすやすと関係性のハードルを越えてしまうわけだが、
実際には会ったことのない場合も多い。
撮影現場で初顔合わせをして、
「よろしくお願いします」のはずが、
新人さんの方はすでに大先輩と友だちのつもりでため口をきく。
これは御法度。
というのも、現実には何の人間関係も相互に積み重ねていないからだ。

というようなトラブルが増えている、という話を聞いて、
ふんふん、と考えさせられた。

「役者はネットを見過ぎない方がいい」と彼女は言う。

じつは、ちょうどインターネットとの付き合い方を変えようと考えていた。
それで、彼女のひと言がサインとなった。
ネットに関わる時間をうんと減らそうと思い始めていたのだ。
夜、ネットであちこちをチェックして回る。
夜回りみたいに、
知り合いのブログやらフェイスブックやら、ニュースやら何やら。
時間はあっという間に過ぎる。ああ、もったいない。
とくに就寝前にやると、眠りが浅くなる。ああ、愚か。

1週間、夜回りをほんの数分にしてみた。

その1週間で、夜、3冊の本を読んだ。
就寝前の祈りに集中力が増した。
キッチンのシンク周りの掃除の時間が増えた。
家族と仲良くしようという気持ちが強くなった。

理由はともかくこんな結果が出た。

うん。悪くない。

でも、ブログはときどき更新はしようと思っている。
やはりこれ、わたしにとって暮らしのチューニングだものね。

ただ、ひとつだけ問題なのは、
やはり夜の方が、ことばがカタチになりやすいところだ。
夜なのよ、夜。



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by Annes_Tea | 2011-09-26 00:05 | 牧師館で暮らす
教会にしかできない支援
夏期講習で忙しかったので、朝の散歩は高校がお休みの夫に任せていたら、こんな顔。
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石巻に送る絵本がもう少し欲しかったので、
毎度のこと、ふるほん日和さんに助けてもらった。
昨日の朝、自転車で取りに行き、
倉庫で本を選んでいるうちに土砂降りとなった。
天気予報は終日曇りだったが、
最近の天気はくるくる変わるから予想外でも仕方ない。
あまりの強い降りは単なる気まぐれだろう。
そう思って1時間ほど待っていたが一向に止む気配がない。
というわけで、
人間だけ電車で帰って、
自転車と本はまた後日取りに行くことになった。
墨田区は縦のラインの交通が弱いから、
自転車ならば近いところも、
電車を使うとなると、かなりの遠回りになる。
最寄りの駅に行くと、
みな空を見上げて途方に暮れていた。

石巻の教会は、震災直後から、
教会関係のチームが続々と入っては支援に取り組み続けている。
まちの人たちにも「教会」の支援はおなじみとなっているらしい。
私はその様子を東京から見聞きするだけだが、
最近、心にストンと落ちたフレーズがあった。

「教会は教会にしかできない支援をして下さい」
と言われたという話である。
物はたくさんある。
食べ物も足りている。
ただ、ここにいる人たちは、心のバランスがよくないんだ、
という話が飛び出し、
上の台詞を被災地の方々から言われたという。

つまり、心。
いえきっと、もっと奥にあるもののことだ。

教会は究極の自助グループとも言えるかもしれない。
というのも、赤ちゃんから(いえ、お腹の中にいる時から?)、
天国に見送るまでの生涯、
あらゆるステージで助け合っていく。
ただし、中心になる仕事は、
聖書のことばによって、
人が新しく歩み出していくお手伝いをし続けることだ。

この「し続ける」がポイントだ。
初めは私たち教職者がおもに関わるけれど、
やがて教会の人たちが、
それぞれに持てる力を使って関わっていく。
ある人は祈りで。
ある人はおしゃべりで。
一緒に食事に行くことも、大切な力。
経済的な支援ができる人もいれば、
家探しから病院探し、
必要ならば役所と交渉する場合もある。
最近では、一人暮らしの方にクーラーを入れるための手助けをした。
とまあ、やり始めればきりがないが、
やっぱりぶれていけないのは、
最初に言ったように、
聖書のことばによって歩み続けることができるように
支えていく、ということ。
祈って。愛して。かかわる。

ただ、距離感や言い方によって、
人の気持ちはくるくる変わるし、
簡単に傷つくから、
これはもう、経験を通して、
失敗しては反省し、
学習能力を高めていく、ということしかない。

でも、さんざん失敗をして、
つくづくわかったことは、
ただ相手をありのままに受け入れるという「愛」だけが、
その人に変化をもたらしていく、ということ。
聖書的に言えば、
「ただ憐れみと恵みによる」。
なあんだ、聖書にちゃんと書いてあるじゃない、
ということになるわけだけど、
どうしても、
情で動いてしまったり、
よかれと思って余計なことをしたり、
というのは、相手に思い入れが強まるほど、
やってしまうのが痛い。

というような話を、
関西からきた宣教師の友だちとした。
昼下がりの秋葉原、
廃校になった小学校をアートで再生したアーツ千代田3331でおしゃべり。
これも私にとっては自助的友情だ。
関西から来るごとに、
私の話を聞いてくれ、最後にはどこであろうと祈ってくれる。
前回は代々木上原だった。
たいていはカフェ。
こんなふうに互いにかかわりあって、
知らないうちに元気をもらったり、元気を与えたり。
(話はそれるが、
途中、ドンキホーテの前で、記念撮影をしてあげた。
教会で大学生と関わっている彼女は、
話題作りのためにこういう小さなことを大切にする人だ。
それにしても、秋葉原は観光地なのを実感)

話は戻ると、
要するに、ただ愛と憐れみだけ。
この日の結論である。
彼女いわく、
「ヨウコさん、あとは包容力だね」。
やはり目指すはムーミンママかなぁ。

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近くの100円ローソンでは、パンの棚がムーミン祭り。これはアイス。思わず買って帰ったら、同じものが先に冷凍庫に入っていました。読書会以来のムーミンモードの私へのプレゼントでした。こういうのも日々のちょっとした思いやり? ありがと。

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by Annes_Tea | 2011-08-04 13:15 | 牧師館で暮らす
キリスト者の自由
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CSのお礼にといただいた佐藤錦。
手をかけて作られたこれも作品ですね。
美しい。



暮らし回りを書いているこのブログには、
ちょっとめずらしいタイトルですかね。
最近、このテーマを考えさせられる場面が多いもので。

たとえば、
「お酒を飲める自由」ではなく、
「お酒を飲まなくてもいい自由」もある、
という発想の転換。
あるいは、
「やりたい放題にやる自由」と
「やることを選んでいく自由」との違いとか。
このあたりをつかめるまで、
信仰を持っても、案外、じたばたしてしまうことがある。
ねばならないという思い込みによって、
自分で自分の心を窮屈にしてしまったり。

思い浮かぶ聖書のことばは
「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、
自分の心で自分を窮屈にしているのです」


もっと安心していいんだよ、
と言ってあげたい人がたくさんいる。

最近読んだ本と、
考えていた「自由」についてリンクした。
作家の保坂和志さんのエッセイの中にある
「小説の自由」という小文だ。

言い得て妙、という感じを忘れたくなくて、
引用させてもらいます。
(この程度の長さなら引用許可ですよね?)


サッカーや将棋にかぎらず、すべて競技にはルール=拘束がある。
逆説的に響くかもしれないが、卓越した能力を発揮して、
自由自在に動き回れると見える人ほど、
体や思考を競技それぞれの拘束に順応させている。
つまり拘束の中にいる。
拘束に体や思考を順応させることをトレーニングといい、
端からはトレーニングは退屈で不自由きわまりないように映るのだが、
その「不自由」は自由を獲得するための道のりだ。

(省略)
大事なことはルール=拘束のある競技において、
自由とは不自由の対立概念ではなく、
不自由のずっと奥にある状態のことだと知ることだ。
競技者は拘束に対して主体的でなく他の誰よりも受け身になるから自由を実現できる。
創造性や想像力は何も拘束がないところから生まれるのではなく、
拘束によってもたらされる。

(『猫の散歩道』中央公論新社より)

スポーツでも絵画でも小説でも、
何かを作り上げていく、ということにおける
拘束と自由の関係って、
保坂さんの言っていることが通じると思う。
それは人生を作り上げるという過程においても同じかな。
私たちは神の作品、とあるものね。

聖書には、こんなことばもある。
「すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません」


何でもしてもいいけれど、
それが自分を損なうリスクもあるよ。
あなたは尊い存在として作られたのだから、
あなたの行動、
あなたのことばで、
自分自身を汚してしまうのは残念なこと。
とまあ、平らに訳してみるとこんな感じ?
自己憐憫は自分を損なうだけだし、
嘆きや不満は、
聞いた人の心を傷めるだけではなく、
発する本人の心をもどんどん傷めるものね。

結局、私たちキリスト者が選びとるときの指針はここにある。
「こういうわけで、あなたがたは、
食べるにも、飲むにも、
何をするにも、
ただ神の栄光を現すためにしなさい」


この「しなさい」はねばならない、ではない。
やっぱり自由意志による決意と選択の問題だ。
この自由がわかると、本当にシンプルだ。
シンプルは身軽だし、嬉しい。
この嬉しさを言い換えれば
「栄えに満ちた喜び」。
これがキリスト者の自由の本質だろうと思う。

最後はやはりこのことばかな。
「キリストは、自由を得させるために、
私たちを解放してくださいました。
ですから、
あなたがたは、しっかり立って、
またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」


牧師館のお茶会ならぬ話題でしたが、
たまにはまっすぐ聖書について語るのもよろしいかと。


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by Annes_Tea | 2011-07-04 10:13 | 牧師館で暮らす
最期にいい人生だったと言えればよし
鳩の街のこすみ図書から牧師館へ移住してきたソックモンキーたち。靴下一足で作れるそうです。ワークショップで作った作品たちは、絵本の一箱にしのばせて被災地に送り届けられたら、ということで待機中。マッチングを確認中です。しばらくはわがやでいっしょに暮らすことになるかな。見ているだけで、なごみますよ、これ。
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震災で人生観が変わった、
と礼拝の後、教会の方が言う。
人生観というか、日本が何か変わったのは確かだろうと思う。

その方は、持病のために体の自由のきかないことが多く、
あの日、揺れ動く部屋の中で、
ただひたすらじっと座っているだけだったという。
ああ、これで終わりかもしれないと腹をくくり、
身動きのとれないまま、自分の人生を振り返ってみたという。

その結論が、
いろいろあったけれど、
「とにかくイエスさまに出会えたのだからすべてよし」
と不思議なくらい安心して思ったという。

それを聞いて、ふわあ、かっこいいなぁ、と私。

思春期の迷いの多い時代、
母からよくこう言われた。
「最期のときに、ああ、いい人生だったと思えるように生きなさい」と。

それはそうだな、と思ったのだが、
その方向性も、その術も、
要するに何が「いい人生だった」と思える確固たるものなのかがわからず、
結局、迷い続ける日々だった。

母からその答えを聞いた覚えもないし、
考えれば考えるほど難しい問いだ。

でも、イエスさまに出会ってすべてよし、
というのは、今、ようやくわかってきたところだ。

今日、その方のお話を聞きながら、
毎朝聖書のことばを与えられているということは、
毎朝まっさらな希望が与えられていることなんだ、
とあらためて思った。

毎日が希望との出会いとなれば、
最期のときに、ああ、いい人生だった、と言えるに違いない。

日曜日には、ブログもこんな感じになります。

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そうだ、そうだ。わがやにムーミンのお皿があったんだ。思い出して、牧師の奥さんの友人からいただいたかわいいマフィンを乗せてみました。手作りですよ! アラビアの食器なので、こんな黒っぽい色づかいです。いつどこで買ったものか、思い出せないほど昔のもの。ムーミンがいない。昔はスナフキン派でした。今はちょっと違うなぁ。

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by Annes_Tea | 2011-06-05 23:59 | 牧師館で暮らす
スカイプで英語を学ぶ
上映会は大盛況でした。豪雨で何かと大変でしたけど。なにしろこの教会は、スリッパに履き替える古いタイプの作りなもので。橘館のみなさん、とっても働き者で感心しました。
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5月も終わり。

進んでいるような、足踏みしているような、
忙しいような、静かなような、
3・11以来、この奇妙な感覚は今なお続いている。

恒例の母との春の旅にも、
今年はお互い腰が上がらないまま日が過ぎた。
知らない町に行くことが好きなのに、
今はまだこの町にとどまっていることが大切に思える。

ここにいるのに、
知り合いが少しずつ増えていく。
もともと知り合いだった人と、
以前よりも距離が縮まる機会も増えている。
これも震災によるところが大きいかな。

4月から英会話を学んでいる。
学びたいと思い続けてウン年。
思わぬところから道が開けた。
クラスメートは私を入れておもに4人。
これまた新しい出会いである。
とはいえ、スカイプを使っての学びなので、
直接会ったことはないし、
おまけに私はみなさんと初対面だ。
クラスメートは全員が牧師(しかも男性)である。
教会教職者向けの英語プログラムを担当している宣教師さんが
ふと、私を思い出して下さったらしい。
なんとラッキー。

知り合いではないみなさんと、
初回からして「ハーイ、○○」
と下の名前で親しく呼び合っている。
自己紹介も全部英語なので、
じつは2回目くらいまで、
クラスメートたちの背景がよくわからないままだった。
なにしろ、私がいちばんの落ちこぼれ。
みなさん英語圏の人たちと仕事をしてきた先生たちなので、
ぺらぺらぺらりとよく話せる。
それで私はつい無口になってしまう。
おまけにスカイプの使い方も初心者なので、
ときどき私が画像からいなくなる事件も起きる。
「ヨーコ、ヨーコ、どこにいる?」
「ヨーコ、ヨーコ、聞こえないよ。ハロー、ハロー?」
と誰かに英語で言われたりするのだ。

クラスメートの先生たちは、
九州と東北在住である。
東北の先生は仙台の教会にお住まいで、
被災地のボランティアたちが常時10人は滞在しているらしい。
当然、被災地支援の話になることも多く、
テキストのプログラムそっちのけにして
ついつい話し込んでしまう。
(と言っても私は聞いているだけ)。

前回、仙台の先生のブログを教えていただいた。
開いてみて冷や汗。
「retired pastor」だとはうかがっていたが、
なんと、81歳の先生でした。
人生の大先輩をつかまえて、
「ハーイ、○○」
と呼び捨てしていたとは。

これぞ英語のチカラ。

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雨上がりのジューンベリー。地植えにしたら実を結びました。ほんのこれだけ。

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by Annes_Tea | 2011-05-30 23:25 | 牧師館で暮らす
ほめ上手な人に育てられる
メルは一日に何十回も「good」と私に言われます。私も同じように夫に言われてみたいような気もします。いつでも機嫌のいい奥さんでいられそう。
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歯の定期検診に行った。
「よく磨けてますよ」
といつもの歯科衛生士さんが言う。
わ、嬉しい。
じつは今回ばかりはだめ出しかなぁ、
と覚悟していたのでほっとした。
「この調子で磨いていきましょうね」
とさらに明るい調子で言う。
よかった。

口の中のことは怠けるとすぐにばれてしまう。
身に覚えがあるだけに、
検診前は少しばかりどきどきする。

でも、彼女はいつもまずほめて、
それから注意事項を話す。
この箇所が磨きにくいですよね、
ここは力を入れないでいきましょうね、云々。
ほめられてからのアドバイスだから、
こちらも素直にはいはい、と聞ける耳になっている。
これがコツだな。
相手の心をまず柔らかくしておいて、
それから必要なことを端的に教える。

このまちに来て、
自分に合う歯科医に出会うまで時間がかかった。
夫に紹介してもらった歯科医は
腕はいいのだが、説明不足で私には合わなかった。
専門家としての腕は当然のこと、
ことばで納得がいくように応答してくれる人。
何事でもこれが私の条件なのだ。
どうしてなかなか。
病院、美容院、魚屋、肉屋とひとつずつ定まって、
歯科医はいちばん最後だったかな。

腕のいい歯科医とほめ上手の歯科衛生士さん。
最強のタッグチームに出会い、
ひとまずお口の中は安心である。

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東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン
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by Annes_Tea | 2011-05-27 00:57 | 牧師館で暮らす
共感する力
高校の卒業式で夫が生徒からもらったチューリップは手紙付き。震災の関係で日程も場所も変更になったものの、無事に終えることができました。
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祈りの働きを始めてから、
文字通り一期一会の出会いに恵まれることが増えた。
つまりそれは、
今このときの悩み苦しみに、ともにその場にいさせてもらえる、
ということ。

今回の女性の祈り会はとくに、
「震災」という忘れえぬ年に集ったお仲間として、
記念写真を撮らせてもらった。
みんななんていい笑顔!
郷里が被災に遭われてそれは大変な日々を過ごされた方も、
また、今、試練の渦中にある方々も、
なんていい笑顔。

写真のタイトルには、
「うるわしの白百合シスターズ」あたりがよいのでは?
などと勝手に思ったり。
お見せできないのが本当に残念。

震災支援の集まりのために、
教会漬けになっていた日々が終わり、
今週は、外に飛び出す予定でいる。

計画停電地域にも行くことになるので、
逆算に余念がなくなりそうだ。

祈りの話の流れで、
フェイスブックで教えてもらった祈りをご紹介。
子どもたちの表情を見ていると、
悲しむ者と悲しむ、という聖書のことばを思い出して、
こちらも涙ぐまずにいられない。

人生にあまり願いを持たない人は、
人に共感する力も弱い、
という文章を最近読んだ。
何を根拠としての話だったか。
でも、確かにその逆の共感力について考えると、
生命力にあふれている人は
イエスさまのように泣く者と泣く、
ということをごく自然にしているように思う。

共感力。今の日本人に必要ですね。

Prayers from kibera for Japan 〜祈り〜キベラから日本へ


東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン
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by Annes_Tea | 2011-03-27 00:49 | 牧師館で暮らす


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