下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん

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わたしの好きな東向島10(2009年)
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e0165236_18193379.jpg←「こぐまカフェ」からはいつも面白いことが発信されるので、いまや商店街の活性化にとっては、なくてはならない場所のようです。昨年、会堂をリフォームするにあたって、古い建物がどれほど素敵に変身するのかというモデルケースとして、教会の人たちと連れ立って見学に行きました。年配者にはリノベーションと言っても、いまひとつイメージがわかないようなので、実際に目にすることで夢の共有が可能になりました。




先週のテレビ東京の「アド街」は東向島でしたね。見ましたか?
「こぐまカフェ」が出るかもよ、と事前に聞いていたので、見逃さないようにした。ご近所さんも出るかな、と楽しみにしていたのだが、なあんだ、微妙な線引きで外されていた。最寄りは鐘ケ淵駅でも、地名に鐘ケ淵という名前はなく、ここからほんの少し歩けば東向島なのに。

結果は、だいたい思ったような内容だった。1位は向島百花園(本当にこれしかないから)、2位は白髭神社。つまり、隅田七福神のルートということかぁ。もしも、おすすめの10か所を選ぶとしたら? ぷかぷかお風呂に入りながら考えてみた。まったくの独断ですけど、よかったら参考までに。(鐘ケ淵近辺も少し入れちゃいました。だって、本当に同じ地域なんです)。

東向島まち歩きおすすめ10
(順不同です。友だちを案内するなら? という視点で選びました。ただし、これでは一日では食べきれませんよね)

☆鳩の街商店街
(夏の暑い日だとか、夕暮れどきの散策はより趣があります。ゆっくりゆっくり歩いてみてください)

☆こぐまカフェ
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☆東向島珈琲店Pum mana
(本当に美味しいコーヒーを飲みたければこの辺りではここです。オーナーとの話も楽しく、中二階の禁煙席でゆっくりくつろげます)

☆地蔵通り商店街
(こちらはやや広めの通りです。活気があるとはお世辞にも言えませんが、
脇道探索にはおすすめです。路地に入り込んでみると、昔ながらの建物に出会えたりして面白いですよ。迷子にならないように注意してくださいね。向島教会はこの近くです。)

☆稲荷寿司・松むら
(地蔵坂通りにある創業昭和31年、地元ではおいしいと評判の店です。しみしみのおいなりさんはわたしも大好き)

☆向島百花園
(わびさびを求めるならば、平日に。花を見たければ、やはりイベントが行なわれている時期がいいと思います)

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☆現代美術製作所
(イベントがあるとき以外はしまっていますが、看板の「美」を見るだけでも、何かありそうだな、とわくわくします。墨田の「面白いこと」にはかかせない存在です)

☆浪花家
(以前、このブログでも紹介しましたが、重宝しているお店です。尾まであんの入ったたい焼きはもちろん、おにぎりは主婦の一人ごはんに食べたくなります)

☆十一屋
(もんじゃと言えばここ! 月島よりおいしい、と下町出身の夫は言っています)。奥は居酒屋になっています。最後にいただくアンズ巻きがいいんです。

☆廣寿司
(東向島の駅前にあるちょっとモダンな外装のお寿司屋さんです。地元ではランチが人気のようです。お手頃ですよ)

☆番外 墨田聖書教会 向島教会
向島教会は、数年前に建て替えたので、とても美しい建物です。会堂は日がたっぷりと差し込み、ステンドグラスも素敵です。オルガンは愛好家がわざわざ連絡してくるほど貴重なものだそうです。建物見学だけというのは行なっていないと思いますのでご注意ください。

わたしたちの墨田聖書教会は、昨年リノベーションして、古くて小さいながら、かわいい雰囲気に生まれ変わりました。古い建物、変わった建物が好きな方が、ひょっくり見学にいらっしゃいます。わたしたちがいるときは、声をかけてくだされば見学いただけます。(でも、平日はいないことも多いので、事前にご連絡いただければと思います)


この結果、いかがですか?



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by Annes_Tea | 2009-02-24 22:00 | まちを歩く
カレーライスで「隣人祭り」


隣人祭り (ソトコト新書)

アタナーズ ペリファン / 木楽舎


「隣人祭り」のことが、ちょっと気になっている。フランスで生まれたムーブメントで、基本的には「地域の隣人たちが集まり、食事をしながら語り合う」イベントのようだ。隣りに住む人がだれかもわからない社会が当たり前になっていく中で、小さなこの集まりをきっかけとして、隣人同士のつながりが生まれ、それが暮らしの協力関係にまで少しずつ発展していく・・・。日本支部もすでに活動を始めている。

聖書にも「隣人」ということばはたくさん出てくる。ただし、「りんじん」ではなく、「となりびと」と読む。聖書の教えは「神を愛し」「隣人を愛しなさい」ということにつきる。いちばん身近な隣人である教会の人同士でも、日曜日の朝、ちょこっと一緒に過ごしたり、握手をするだけでは、愛するという関係にはなかなか発展していかない。なにしろ、もともとはまったくの他人同士なのだから。

関係を深めていくためには、もう少し相手を知るような時間を共有することが大切だ。とりわけ、祈り合うこと、そして、共に食すことが大きな助けになる。そうした関係を築く中で、具体的な場面で助け合うという気持ちも、心から生まれてくるものだ。「共食」というテーマこそ、長年興味を持ってきたライフワークなので、牧師の奥さんという役割もなるべくしてなったのかな、と今では思える。考えてみると、教会は隣人祭りが得意分野なのだ。日曜日ごとに、少なくとも季節行事ごとに、何かしら食べたり分かち合ったりして「隣人(となりびと)祭り」を開いているとも言えそうだから。

ところで、毎年、この時期になると、教会総会というものが行なわれる。一年間の活動を振り返り、新しい年度の活動や予算などを決めていく話し合いだ。これは裏表なく宗教法人としての責任を果たすために、どの教会でも行なわれる。事務的な話し合いという慣れないことを行なうので、参加するだけでもそれなりに大変だ。そうして、資料作りなどの準備をする人たちはもっと苦労が多い。そこで、わたしは? そうそう、隣人祭りならぬ愛餐ランチをちょこっと用意しようかなと思いつく。ヨウコさん、大変だったでしょう、と反対に気づかわせしまってはよくないので、簡単にカレーだけ。色々な世代が集まるときは気張らないのがいちばんだから、いわゆる普通のカレーライスがいい。話し合いの後はみんなで食事をする教会が多いと聞いて、それは素敵なアイデアだと思ったのだ。

前日、スーパーへ行くと、うまいぐあいに、肉のタイムサービスをしていたので、こればかりはケチらずにたっぷりと。でも、選んだのは豚小間切れ肉だ。カレー用の肉など、大量調理には高くてもったいない。日曜日の前の晩、玉ねぎとにんじんをじゃかじゃか切って、肉を炒めた鍋に投入するだけなので、じつに簡単だ。あとはじっくりじっくり、野菜がやらかくなるまで煮る。ただし、じゃがいもだけは、当日に加える。

おいしいカレーの作り手と言えば、わがやでは夫である。男の人は概して、スパイスや煮込み料理が上手だ。夫いわく、カレーのおいしさは、肉の下処理、つまり、塩、こしょうをして、にんにくで炒め、酒をじゃっと加えることでぐっとよくなるという。ちなみに今回は、グリコの「ZEPPINカレー」を使った。初めて聞く名前だったけど、デュクセルソースだとか、40種類のスパイスだとか、要するにキャッチコピーに乗らせれたわけである。そういえば、カレーにグリコキャラメルを入れるとおいしいっ、と料理の先生が力説していたっけ。

さて、お味は? 教会の味見番頭さんであるなおちゃんが、おいしいおいしいと言って三杯もおかわりしてくれた。うん、よかった。会堂をリフォームできてよかったねぇ、感謝だねぇ、と話し合いも和気あいあいに済み、食事での会話も自然にはずむ。中途視覚障がいのMさんは、体調管理のこともあって、ふだんの交わりでは何も口にしないのだが、この日は2杯も食べてくれた。嬉しいなぁ。やっぱり一緒に食べることはいいなぁ。つながる、一致する、前向きになる。

無事にムーミンママの働きを終えたので、夜は怠けることにした。残ったカレーに冷凍庫から探し当てたベビー帆立を加えて、シーフードカレーに変身。うまいぐあいに、二人分、きっちりお鍋に残っていた。みんなの心づかいかな?

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↑ふだん家庭で使っているのは今はこのカレー粉です。カレールウはほとんど使わず、常備してあるタイカレーペーストを使うことが多いのは、煮込む必要がないから?!

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by Annes_Tea | 2009-02-22 21:13 | お茶と料理、ときどきカフェ
知られざる墨東キリシタン史を歩く(キュックリヒ女史をめぐる旅)
これから、下町の春はいいですよ。
ご一緒にまち歩きをしてみませんか?
5人以上からご案内しています。
メールにてお問い合わせください。

e0165236_237385.jpg「知られざる墨東キリシタン史を歩く」ルート例

東武伊勢崎線・鐘ケ淵駅西口出発→西口商店街(編み物教室看板、旅館や蕎麦屋など古い家屋が点在)→鐘ケ淵紡績(カネボウ)跡地(戦前、敷地内に鐘ケ淵福音教会、教会付属幼稚園や子どもの家、宣教師洋館、木造牧師館あり)→堤通り(鐘ケ淵紡績のレンガ塀)→たぬき湯通り→旧玉ノ井(赤線跡)→墨田聖書教会(戦後すぐ、コンセットハットを再生した会堂)


わたしが暮らす鐘ケ淵のまちは、隅田七福神のルートになっている。多聞寺から、白髭神社、そして向島百花園に向かうのが定番のようだ。新年はもちろんのこと、隅田川の桜が見ごろを迎えると、小さなリュックを背負った年配の夫婦連れが駅を降りる。ミニ鳥居や地蔵がマンションの足元にまで立っている古いまちだから、隅田七福神以外にも寺や神社にまつわる昔話は豊富にある。

ところが、教会となると、このまちで昔話を聞くような機会はまずない。なにしろ数が少ないのだ。わたしたちの教会は戦後すぐに建てられたので、それなりに歴史はある。でも、やはりその歴史を語れる人はいないし、写真や日誌といった記録も残っていない。いちばんの原因は、アメリカ人宣教師が教会の土台を作る前に、体調を崩して自国に帰ってしまったためだ。その後も、次々と牧師が来ては何年かで立ち去ってしまったらしい。それだけ宣教にはむずかしい土地だったということかもしれない。今では手に入るのは、切れ端のような話だけ。それでも何とかそれらをつなげていくうちに、ドイツ人のキックリーさんという名前にたどり着いた。

キックリーさんってだれなんだろう? この疑問を発端に、鐘ケ淵のキリスト教関連の歴史を探る旅を始めた。残念ながら、証言者としての建物は残っておらず、発掘したのは目に見えない物語だけである。そして、それらを少しずつつないで勝手に作り上げたのが「知られざる墨東キリシタン史」なるまち歩きのルート。福の神を回って歩く七福神めぐりを少しばかり意識して、「恵みの地図」を歩くというほどの意味だ。初めてコースをお披露目したのは2年前。向島の「こぐまカフェ」で企画したまち歩きのひとつとしてだ。興味のある人が何人か集まれば、個人的にときどき案内をしている。

洗礼を受けたとき、自分が日本ではマイリティになるということなど少しも考えていなかった。ただし、場所が変われば、クリスチャンはマイノリティでも何でもないのだけど。クリスチャンの両親のもとに生まれた10代の青年が、この国での生きづらさという内面的な問題を克服したのは、韓国に旅に行ったのがきっかけだったという。韓国には教会は当たり前のようにあるし、クリスチャンも多い。現大統領の李明博も、俳優のペ・ヨンジュンもカトリックという違いはあれどクリスチャンですものね。

マイノリティということに関して言えば、以前、若者に人気の歌手、ステイシー・オリコのインタビュー記事を面白く読んだ。彼女はクリスチャン家庭に育ち、最初はクリスチャン・ミュージックレーベルからデビューし、自らも宣教師になりたいと思っていたという。日本ではクリスチャンが少ないと聞いて、「マイノテリィってクールよね」と答えている。ふうん、クールか。その考え方こそ、まさにクール!




以下、昨年の夏の終わりのツアーの様子を何枚かご紹介します。参加してくださったのは、墨田区と台東区の牧師先生や宣教師のみなさんでした。
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「鐘ケ淵はカネボウの城下町だった」という話をしてくださったのは、地元の郷土史研究家のSさんです。カネボウつまり鐘ケ淵紡績の発展と運命をともにしたまちという意味では、その通りかもしれません。カネボウはついには解体してしまい(クラシエという名前で一部残っていますが)、高齢化したまちは典型的な都市の過疎へ、商店街はシャッター通りになり・・・まるで炭坑町のようです。再びまちが活気づくことを願い、日々祈るばかり。

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西口にある商店街は、カネボウの最盛期にはおおいに賑わっていたそうです。働いているのは女工さんが多かったので、編み物教室が駅前にはいくつかあったそうです。

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商店街で女工さんたちに人気だったのは、大福を売る和菓子屋さん。カネボウの敷地内に、向島の老舗「志満ん草餅」まで出店していたという話もあります。当時の面影はどこにもありませんが、ところどころに古いたたずまいの建物を見つけることはできます。

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この広い敷地だけではなく、堤通りをはさんだ向かい側の土地もカネボウの所有だった時代がありました。そこには、クラブハウス的な洋館があり、お花やお茶など、さまざまなお稽古を学ぶことができたとか。女工さん相手のカルチャーセンターのようなものですかね。

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コンクリートの割れ目からわずかに見えるレンガが、当時の建物の名残です。綾瀬橋の方には、まだ同じようなレンガを使った古い建物や蔵などを見ることができます。

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当時を知るお年寄りが、カネボウという大規模工場が建てられたことによって、まちが経済的に潤うだけではなく、精神的にもよいものを残してもらったと話していました。今では、カネボウと鐘ケ淵のつながりを示すものは、この一枚の立て看板くらいなものです。残念ながら、日本で初めての託児所や幼稚園を敷地内に開いたと言われるドイツ人女性のことは何も書かれていません。その人こそ、通称「キックリーさん」こと、ゲルトルート・エリザベス・キュックリヒ女史、わたしが探し求めていた宣教師です。関東大震災前に来日し、以来、カネボウ内の洋館で暮らしていたようです。戦後、放火の犯人にしたてられてこのまちを追い出されたというウワサが残っていたのですが、調べてみると事実はまったく違っていました。

彼女は日本の幼児教育の祖とも言える人で、大学で幼児教育を学ぶ学生たちの指導をするなど、その筋では有名な方のようです。戦後は、戦災孤児の面倒をみるために埼玉の加須市に移り住み、児童福祉施設を設立しました。献身的な働きが認められて、加須市の名誉市民にまで選ばれています。生涯を日本で暮らし、日本政府とドイツ政府から、それぞれ勲章を授与されてもいます。こんなにも社会に認められるよい働きをしたにもかかわらず、長年暮らした鐘ケ淵では無名に近く、看板に一行もないことはある意味ナゾです。

キックリーさん(日本人はキュックリヒと発音できなかったようです)から聖書の話を聞いたまちの人たちがクリスチャンとなり、その中の数人が教会設立の夢を抱き、さらにアメリカ人宣教師との出会いがあり、わたしたちの墨田聖書教会が生まれたということのようです。初穂なる人たちもその子孫もだれなのかよくわかりませんが、今わたしが教会で暮らしているということは、彼女の蒔いた種は育ち続けているということですよね。キックリーさんという女性については、これからも少しずつ調べていこうと思っています。

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旧玉ノ井、もとは特殊飲食街(赤線)です。丸みを帯びた建物が、いわゆるカフェーの特徴。ずいぶん取り壊されましたが、窓の鉄格子などを見ると、なんとも言えない気持ちになります。売春禁止法の成立や、働いていた女性たちの自立訓練やケアなどに、救世軍を筆頭にクリスチャンたちが大きな働きをしたそうです。



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by Annes_Tea | 2009-02-20 13:22 | お知らせ(イベント他)
荒川ボーダー・コリー日和

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夫がメルと散歩をしていたら、前から来た女の子に、「それ、ドーモー犬ですか?」と聞かれたという。んん、ドーモー犬? 確かにときどき獰猛だけど。言いたかったのは盲導犬かな? わたしがメルを連れて歩いていると子どもたちからすれ違いざまによく言われるのは、「おっきーい」。見慣れてしまったので、それほど大きい犬だとは感じないのだが、チワワやダックスやトイプードルに比べればたしかに大きいか。

メルの里親になるとき、少しは夢を持っていた。セラピードッグとまでとはいかなくても、人からなでられるのが大好きな教会のマスコットドッグになってくれればいいな、と。でも、ボーダー・コリー、しかもオスなのだ。兄弟犬の中で、唯一引き取り手が見つからなかった気むずかし屋さんでもある。これが何を意味するのか、まったく無知だったというわけだ。

ボーダー・コリーは牧羊犬なので、テリトリー意識がとても強い。自分の領域を命がけで守るDNAは、実際に牧羊犬として働いていたお父さんからしっかり受け継がれているようだ。リードをして教会の敷地の外で会うぶんには、だれに対しても基本的にはおとなしいが、敷地内となると俄然、ボーダー魂が表れる。わたしたち家族以外はみんな部外者。命がけで追い払おうとする。

微妙なのは教会の人たちである。週に1、2度来るこの人たちは、果たして敵か味方か? メルも判断に迷うところらしい。ある人には対しては鼻でつっついて警告するし、ある人には平気でなでられている。大の犬好きの人がつっつかれたりもするので、その基準がよくわからない。

アンの作者・モンゴメリーは、ネコ派だったようだ。作品に出てくるのもネコが大半だが、犬も何度か登場している。印象的な話は二つある。『アンの愛の家庭』に登場する子イヌのジイプと、『アンの娘リラ』に登場するマンデーだ。どちらも主人に忠実な犬の物語である。マンデーの方は、忠犬ハチ公も顔負けで、戦争に行ったアンの長男であるジェムを、ひたすら駅で待ち続ける。一人と一匹の再会の場面は、こうくるなとわかっていてもじわっとしてしまう。

犬というものは、全然意地悪ではない。これはすごいことだ。飼い主のことが好きで好きでたまらない。へんな言い方だけど、こちらが申し訳なく思うほどだ。朝、寝室のある二階から、メルのいる玄関へ降りて来ると、熱狂的に迎えてくれる。毎朝、毎朝、これが繰り返される。この新鮮なパッション、結婚生活に見倣いたいことのひとつである。

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荒川砂漠? 日曜日にはサッカー少年で埋め尽くされます。
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荒川には屋形船の停泊場がいくつかあります。

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by Annes_Tea | 2009-02-18 00:30 | まちを歩く
木場公園でジンガロの馬に出会う



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朝、木場公園を歩いていたら、遠くに馬が見えた。ああそうか、今、ジンガロが来ているんだっけ。特設会場を見るのは初めてなので、物珍しくてフェンスに近付いてみる。広い敷地はがらんとしていて、宴の後のような不思議な静けさが漂っている。

ジンガロで馬の世話の仕事があるんだけど誰かやる人いない? 少し前に夫が言っていたのを思い出した。劇団を主宰している夫の友人に聞かれたそうだ。その劇団の人たちも、会期中は馬の世話をするらしい。いいなぁ、馬。でも、小学生のときにポニーに乗ったことしかないわたしには、彼らの世話などとうてい無理だろうな。

外に出ている馬は一頭だけだ。馬の足元で世話をしているらしい人の姿もただ一人。馬も人も、今は貴重な休息の時なのだろうか。まだ朝の光が残る公園で、夜の華やかさを想像してみる。でも、犬の散歩やランナーたちが駆け抜けるここは、絢爛豪華な舞台とはあまりにもかけ離れた雰囲気なので難しい。とかん、とかんと何かを打ち付けるような音に混じって響いているのは、ただすずめのさざめきだけ。宴の始まったその時に、前を通ってみたいような気がする。

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ジンガロの特設会場は、
わたしたちの教会を何倍にも大きくしたような形をしていました。
組み立てては解体し、世界を流浪するには、
いちばん便利な形なのでしょうね。親しみがわきます。

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下町に木場公園があってよかったとときどき思います。
教会の活動でも定番の場所です。
ピクニックを兼ねた野外礼拝を行なったり、
ほかの教会の人たちと合同でバーベキューをしたり。
もちろん、メルの散歩にもなじみの場所です。
ドックランもできるそうなので楽しみ。
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by Annes_Tea | 2009-02-12 00:44 | まちを歩く
少しずつ春の庭



↓「向島花合わせ」というイベント(2008年11月)に参加したときの写真です。主催の現代美術製作所から向島百花園まで下町の路地園芸を見ながらまちを散策。世田谷や目黒からの参加者が多くて、下町の路地園芸は新鮮だったようです。
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↑向島百花園はいつ行っても無造作な様子なので、手入れの行き届いた庭園を期待していくと見事に裏切られます。枯れたら枯れたまんまでそこにたたずんでいる。なんだかそんな庭です。このときは、これまで見たなかでいちばん花が咲いていました。
(けっこういつも花がない)
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このところ、風が強い。
わがやでは、よく晴れた風の強い日を「ボーダー・コリー日和」と呼んでいる。メルにとって、最高の散歩日和という意味だ。

そのメルでさえ、荒川河川敷で暴風が吹き荒れる音に驚いて、あれ、あれ、と周りを見回して歩く。さすがに牧羊犬だけあって慎重な性格なので、少しの物音にでも敏感に反応するのだ。

それでも、顔に当たったその風に、何とも言えないゆるみを感じる。ああ、春。とちょっと詩人のようにつぶやいてみたりして。だって、うれしくて。学生のころは、何かが始まる期待と、何かが変わっていく憂鬱な気持ちとがないまぜになって、手放しで春を「好き」だとは言えなかった。でも、今では春が近づくだけで、うれしい、うれしい、とメルようにしっぽを振りたい気分になる。

うれしいことのひとつは、枯れ果てた冬の庭に、色とりどりの花が戻ってくることだ。新年に房総で買ったパンジーは、つぼみを増やし続けている。教会の玄関の花壇には奥行きがあるので、思いつきで植えるとすかすかした雰囲気になってしまう。それで、毎年、春になる前にお花屋さんに相談するのだが、今年は迷っている。というのも、昨年のリフォームに引き続き、今年はエクステリアに少し手を入れたいと願っているからだ。今、花壇を造り込んでもむだになったら花たちもかわいそうだし・・・。

されど、春。花屋の前を素通りできなくて、結局、淡いブルーのネメシアを買ってしまった。経済性とか怠け心とかを考慮すると、どうしても宿根草を選んでしまう。これ、花つきがよくて、春の日差しとともに増え続けるんですよね。でも、小さなカタツムリの好物でもあるから、彼らとの戦いも始まるわけだ。ふう。


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↑野の花を使って自由にアレンジも作りました。このとき教えていただいた先生の花あしらいが素敵で、すっかりファンに。
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by Annes_Tea | 2009-02-08 23:33 | 日々の庭と花
ティーポット考察


↓今回は600ccというやや小さめにして正解でした。場所をとらず、ふだん使いにおすすめです。中国茶にもいい大きさです。

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e0165236_20502816.jpgそろそろちゃんとしたティーポットを買わないといけない。そんなことを思っていたにも関わらず、結局、ガラス製のポットを買ってしまった。しゃれているとは言えないけれど、丈夫で扱いやすい。お湯の分量がひと目でわかる。なんと言っても嬉しいのは、熱湯を一気に注いだとき、茶葉が元気よく跳ね回る様子が見えるところだ。

20代で紅茶にはまっていたころは、紅茶を入れてもらえる? とひと声かけてもらえれば、どこへでも出かけて行った。紅茶の出前と称して、知り合いのホームコンサートでは、演奏後によくティーサービスをさせてもらった。そのあげく、チェンバロの演奏にあわせて、紅茶手前(?)の披露までした。
開演前、演奏家に念を押された。
「ここで紅茶を入れることは当たり前のことなんだという顔をしてステージに立ってほしい」
この考えがしごく気に入ったので、はいわかりました、とふたつ返事。客入りの時から、チェンバロの隣りを陣取ってすまして立ち、しゅんしゅんお湯を沸かしながら、当然でしょ、と本番では気取った顔をしてみせた。サントリーホールだとか、大きなところでよく演奏をしている人なのだけど、気さくで本当に面白い人だった。ああ、あのころの紅茶にかける情熱といったら。20代、だもの。

そんなわけで、ティーポットにもそれなりにこだわりがある。いや、あったのだ。でも、初めて自分のお金で買った丸型のブラウンバディの口が割れて以来、探そう探そうと思ったまま今にいたる。そうして、つなぎに買ったはずの質実剛健なガラス製のポットの時代が続いている。そういえば、昨年、日本橋三越で開催された赤毛のアン展で、モンゴメリが大切にしていた客用ティーポットというものを実物で見た。思った通り、上品で線が細い姿をしていた。招かれたお宅で、あんなポットでお茶を注いでもらえたならば、それはそれは優雅で嬉しいだろうな。でも、わたし自身が持つとしたら、ぽてっとした風合いがいいし、少なくとも花柄は避けたい。

結婚した時には1200ccのタイプを4個も持って牧師館にやって来たのだが、教会と兼用にしていたこともあって、半年くらい前についに最後の1個が割れて、不便な思いをしていた。今回は初めてハリオの製品にした。電子レンジ対応という売り文句にやられたわけだ。これまでは、なんとなくメリタびいきだった。中でもメリタのストレートポットシリーズがすっきりしていい。ドイツのメリタの創業話に物語性を感じて好きになった。主婦が夫のために考案したペーパードリップがそもそもの始まりだという。でも、紅茶ではなく、コーヒーの話なんですよね、これ。似たような名前の会社にカリタがある。こちらは日本の会社のようだ。カリタの製品も、合羽橋で安く買って使ったことがある。メリタもカリタもハリオも、ともに三文字だ。どこか似たような響き。マーケティング戦略でもあるのだろうか。

このポット、思った通り使いやすい。それに、茶葉のダンスがかわいいこと。くるくる、くるくる。やがて、すとん、と底に沈むのだ。それから数分待って、カップに注ぐ。ゆったりとした時間。そうえいば、ちょっと、最近、雑な感じで暮らしていたかもしれない。
紅茶に初心を教えられた午後のひと時でした。


e0165236_2040834.jpg←夫が中学時代から使っているコーヒーミルです。子どもたちはみな、この機械を回すのが大好き。
粉になったコーヒーに指をつっこんでいつまで触っています。コーヒーは夫の領域なので、わたしは感謝していただくだけ。

e0165236_2043290.jpg→季節限定のチョコレートラズベリーブリスを見つけました。チョコレートにbliss(至福)ですから、バレンタイン向けなのでしょうね。ミルクとも相性がいいですよ。でも、男の人は好きではないかも、この味。
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by Annes_Tea | 2009-02-05 20:58 | お茶と料理、ときどきカフェ
中古品たちの嫁ぎ先


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夜、長椅子が牡蠣になって帰って来た。岡山から届いた産直ほやほやの牡蠣を、おすそ分けいただいたのだ。帰ってくるや、夫は殻を開いてまずはそのまま味見。ん? と考えて、今度はトースターで軽く焼く。ぷくっと身がふくらんだところで粗塩をひとふりして、いただきます! ふわぁ、甘いねぇ。おいしいねぇ。

牡蠣も嬉しいが、持て余していた長椅子を喜んで使ってくれることがなによりも嬉しい。今、会堂をリフォームした勢いで、教会の物置の整理をしている最中なのだが、出てくる、出てくる、不要な物たちが。何度となく片付けを繰り返してきたにもかかわらず、やっぱり出てくるのだ。

扇風機とヒーターは、何台も処分した。昔のものは、古くて危険だし、重くて使いにくい。それでもまだ、セラミックヒーターが2台と、古い扇風機が2台もある。花瓶にいたっては、20個くらいはあるか。結局いつも使うのは、花屋さんに選んでもらった素焼き風のものだけだ。わたしとしては全部手放してもいいのだけど、どこかの教会の献堂式のお返しだったり、わたしの結婚祝いだったり、一つ一ついただいた時の物語があることを思うと、またもや実行できそうにない。

教会暮らしによって、“捨てる技術”に長けてきたとは思うのだが、自分のものではないとなると迷う。やたらとかさばる籐のカゴも、いらないなぁ。でも、もしもこの先、クリスマスの降誕劇をやることになったら、と思うと、やはり捨てられないのだ。飼い葉桶に入った幼子イエスさまに、うってつけのカゴだから。葬儀用の黒い布。これだって、葬儀の時には教会専門の葬儀会社に頼むのだから、必要ないはずだ。6年前に使ったきりのバージンロードはどうしよう。次回使うまでに、黄ばまないで取っておける自信はない。

こんな調子なので、毎回、物置整理は積み残しをして、途中で切り上げてしまう。でも、今回ばかりは、かなり本気だ。ただし、すべてを処分するとなると、費用がかかる。最終的には、区の粗大ゴミに出すしか道はないが、できれば誰かにもらってもらいたい。冒頭の長椅子は、めでたく町田の牧師夫人にもらわれて、牡蠣に姿を変えて帰ってきた、というわけだ。

ぐるぐる回る。だれかのいらないものが、だれかの必要なもの。このマッチングがうまくいくと、わたしは幸せな気持ちになる。これまでいくつのマッチングをしてきたことか。机、椅子、冷蔵庫、電子レンジ、照明器具、棚・・・。50件は下らないはずだ。もらってくれる先は、ほんどが教会、そして、若いアーティストたちだ。工場跡地をアトリエにしているアーティストが下町には何人もいる。工場という広さのおかげで、いいですよ、とあっさり引き受けてくれる。感謝している。いつだったか、その昔、週報を刷るのに使っていた和文タイプライターの活字の行き先に困っていた時だった。この活字が、小さくて可愛くて、捨てるには忍びない。でも、やっぱり使わない。ふと思いついて、知り合いのアーティストに尋ねてみると、面白いねぇ、とひと言。この感性がいい。あれは、いつか作品になって再会できるのかな?

印象に残っていることがある。わたしの私物の話だ。結婚する時、洗濯機と冷蔵庫が不要になった。夫になる人に相談すると、ある教会が引き受けてくれることになった。ホームレスから再出発して、生活保護を受けながらアパートで暮らし始める男性を支援しているところだという。その男性が、ちょうど家財道具を探していたのだ。ひとり暮らしのために初めて買った冷蔵庫と洗濯機が、だれかの門出で用いられると思うと、ちょっぴりハッピー。もらってくれてありがとう。

先週は、引き出し式のプラスチックケースがもらわれていった。会議で来た牧師先生たちに声をかけてみたところ、それぞれ車で持ち帰って下さった。60年近くも前に府中刑務所の作業所に特注したスリッパ入れも、嫁ぎ先の教会が決まった。

でも、先は長いなぁ。明日も重い腰を上げなくては。物置整理はまだまだ続く。

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by Annes_Tea | 2009-02-03 00:11 | 牧師館で暮らす


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