下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん

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かっぱ橋道具街覚え書き

e0165236_20434823.jpg荒川の冬の朝。こんな写真だと、もっと寒くなってしまいそうですが、くちばしの開き具合が気になったもので。



寒さに弱いので、古家暮らしが身にしみる。
それでも、年々耐寒性がついてきたようにも思うが、
外へ出るときには近所の店でも気合いがいる。
庭仕事はまるでやる気が出ないし、
メルの散歩も天気によっては苦行さながら。
今、犬を飼う人たちのインタビューを続けているのだが、
一年365日、たとえ台風であっても、
一度たりとも犬の散歩を辛いと感じたことがないなんて話をうかがうと、
愛情不足の我が身を恥じる。

特に冬は、自転車がだめである。
自転車部の部員のくせに、情けない話なのだけれど。
風を切って走る。
温かい季節には自転車乗りの楽しみであるこれが、
冬になるとどうにも辛い。
マフラーで顔までぐるぐる巻きにしても、
重ね着をいくらしても、気持ちが辛いのだ。
だから、冬になるとメルの散歩はもっぱら徒歩だ。
自転車を使った方が、時間の短縮になるし、
のろのろ進む私の歩みに合わせるメルにとっても楽なはずだ。
犬というものは、
隙あらば、人間よりも先頭を歩けないものかと虎視眈々とねらっている。
冬に自転車で行くとしたら、せいぜい近場の図書館までだ。
次の休みには、
上野の子ども図書館までひとっ走りして、
帰りにイナムラショウゾウでシュークリームを買って帰ろう。
そんな有意義な計画を頭の中では立てるのだが、
実際に休みの朝になると、いやまた次の機会に、と先延ばししてしまう。

雨の夜、久しぶりに自転車部の面々で集まった。
当然のことながら、
自転車で集合とはならず、みな部長のアトリエに車で乗りつける。
今年の活動計画を立てるのは口実で、目当てはほかほかの鍋である。
自転車部もわたしも、宿根草タイプなのは同じだ。
冬、一見すると枯れているかのように見える土の下で、
根っこだけ静かに呼吸している。
あとは春を待つのみだ。
芽を出して、葉を開いて、花が咲く。
ああ待ち通しい。寒さがゆるんでいくその季節が。

本当は、かっぱ橋について書こうと思ったのだが、
寒さと自転車の話になってしまった。
ここらへんでタイトルにつなげるとすると、
暖かくなったら自転車で行くつもりなのが、
かっぱ橋道具街である、という話。
最後に行ったのは去年のクリスマス前だったので、
その時はおとなしく電車で行った。
地下鉄田原町から徒歩すぐだが、
浅草から国際通りを横切っていくルートが好きだ。
通りの名前は知らないが、
「喫茶店」(カフェではなく)と「お好み焼き屋」がやたらと目につく通りである。

少し行かないうちに、
いくつか店が変わっていて、
おまけに歩いている客の感じも違っていた。
中高年のグループが道幅いっぱいに歩いていたり、
女性の二人組も多く見かけた。
わたしもいまだに不慣れなので、
効率よくまわれずに、北と南を間違えて方向音痴になったりする。
クリスマスや自転車カフェのためのパッケージを買う予定が、
全然関係ない店に興味を引かれ、思わぬ時間をとられてしまう。
目的を果たす前に疲れてしまって、
しまったなぁ、と思うのがかっぱ橋ではよくあること。
soiという店で、
オリジナル手ぬぐいを承ります、なんて貼り紙を見れば、
自転車部で作ってみたいと想像が膨らむ。
鍋のついでに、部員のみんなに話してみると、
いいねぇ、思いきってもう少しグレードを上げて風呂敷は?
なんて案で盛り上がる。
こういうノリが自転車部のいいところでもある。

さて。次に行くときのために、覚え書きを残しておきます。(やっと本題)
かっぱ橋歩きの参考にどうぞ。(偏ってますが)

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この無料マップさえあれば、初めてでも歩けます。
詳しくはこちら↓
http://www.kappabashi.or.jp/index.html

銀座線田原町駅近くから、ふだん歩く順番でご紹介します。
(西浅草側)基本的には、わたしの用事はいつもこちら側で足ります。
○和の器田窯
日本各地の焼き物がほとんど揃っています。1階はふだん使いによさそうなものが豊富で、もちろん定価よりうんと安めです。2階は織部焼きなど高めのもの。ただしこれからたくさんの店を探訪するのですから、くれぐれも時間配分にご注意を。

○輸入道具のDr.Goods
クッキー型でお世話になっています。広くはありませんが、2階も他ではないようなものが置いてあります。わたしが行ったときは、OXOがたくさんありました。メジャーカップを愛用しています。

○伊藤景パック産業フードパッケージ店
クリスマス用のシールやマフィンを入れるような袋類は、シンプルかつちょっとしゃれていて重宝します。松が谷側にある合羽橋店も、お菓子のパッケージが揃っています。

○本間商店(原料店)、吉田菓子道具店
いつも見るだけですが、お菓子作りのモチベーションが上がります。道の反対、松が谷側では、おかしの森、川崎商店などでもお菓子道具を見ます。

○食器のキャニオン
白い食器ならばここ。わたしはカフェオレボウルタイプを2種類ここで買いました。丈夫で使いやすいですよ。

○シモジマ プロバックかっぱ橋店
食材から包装用品まで、まんべんなく揃います。本当はここだけで教会の用は足りるんですけれど。紙のパウンド型やマフィン型、エコタイプのどんぶりをよく買います。

○合羽橋珈琲
ここまで来るとすでに疲れているので、どうしてもこの店でひと休みしてしまいます。朝から夜まで開いていて便利です。ゆっくり過ごせますよ。


(松が谷側)カフェタイムを過ごした後は、反対側に渡って再び田原町方面へと戻るのがパターンです。こちら側は、見て歩くだけのことも多いのですが。

○TDI(東京直輸入センター)
このお店をのぞくのが、合羽橋歩きの楽しみのひとつ。オリジナルものもありますが、輸入キッチン雑貨が多く、何かしら面白いものを見つけられます。柳宗理、野田琺瑯、白山陶器、ル・クルーゼなどなど、定番商品も少しお安く買えます。わたしが行ったときは、デュラレックスのグラスが大セール中でした。

○soi、とうしょう窯、小出商店陶器部
この3店は、器や古道具など、息抜きに眺める場所です。70パーセント引きのモダンな和食器などに出会うこともあって、眺めるだけではすまないこともありますが。とくにとうしょう窯がおすすめです。

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by Annes_Tea | 2010-02-12 21:02 | まちを歩く
ぶらぶら立寄り報告
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今日のメル散歩は、荒川河川敷ではなく、隅田川の公園まで足を延ばしました。どんぐりがどっさり落ちていて、落ち葉でふかふか。隅々まで点検しなくては気が済まない性分ですから、メルは匂いの探求に大忙しでした。

礼拝後、分かち合いとミーティングが終わった後で、
メルの散歩をかねて玉ノ井SHOW ROOMに立寄りました。
イベントを告知する時間がなかったので、
当日に出した看板だけが頼りだったにもかかわらず、
通りすがりの方々が何人も参加して下さったそうです。
本日の作品は、しおり、名刺入れ、キーホルダーなど。
やはり、使えないものよりは、使えるものを作ろう、
というところに落ち着きますよね。

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革です、革。あちらこちらに。
SHOW ROOMには牛の匂いがするのでしょうか。
メルの鼻がしきりに動いていました。

来月は、2月6日に、70年代の料理レシピを再現する、というオモシロ企画。
時間があったら、わたしも参加したいな。本日は短く報告まで。


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by Annes_Tea | 2010-01-24 21:35 | まちを歩く
「玉の井 SHOW ROOM 」イベントお知らせ シリーズ1 革
直前のお知らせですが、
どうやら突然決まった企画のようです。
アーティストの水内さんが、昨日お知らせに来て下さったので、
ここは地元を応援しなくてはいけませんね。
ということで、下町散歩がてら、革のはぎれ遊びはいかがですか?
太っ腹にも、材料費は無料ですよ!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ちらし本文より)
シリーズ1
「本当にこれいらないんですか! 町工場の廃材で何か作ってみる」

          第一回 革

日時:2009年1月24日(日) pm12:00〜17:00

場所:玉ノ井SHOW ROOM(株式会社牛久工務店1F)
     墨田区墨田1-16-16(東向島駅3分、教会からは5分程度)

参加無料 対象年齢なし

アーティスト:水内貴英↓


このシリーズでは、毎回、いろんな町工場からいただいてきた廃材を使って、
とりあえず、意味のあるものからないものまで、気の向くままに作ってみる企画です。

今回は、片野製鞄所さんからいただいた大量の革のはぎれを使って
何かを作ってみます。使えるものでも、使えないものでも!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

場所はこの地図の中の現代美術製作所と同じ通りの角にあります。
地図はここ。http://machimise.net/map.html

昨年の100日間アートイベント「墨東まち見世2009」の中で、
「玉ノ井ひと休み書庫」として期間限定で公開された空間が、
「玉ノ井SHOW ROOM」に生まれ変わって再始動。
まちとアートと人をつなぐ場として、
少しずつ、少しずつ、何か面白いことを提供していくようです。
(ひと休み書庫ついての以前の記事は、ここ↓です。)

先日、アーティストの水内さんが別件でいらした時、
わたし好みの素敵な革のトートを下げていたので尋ねてみると、
なんと、ご自分で制作されたというではないですか。
別のアートイベントで提供していただいた革のはぎれで作ったそうです。
じつは今、わがや(というか夫だけですが)は革小物制作にはまっているのです。
はぎれ、いただけるの? ともう、ニコニコマークになっていました。
高校の課題でも、早速、革小物を導入しているようです。
先生の好みがすぐに授業に反映されるなんて、
美術の先生というおシゴトは、ちょっと楽しそうです。(いえ、学校によるのでしょうが)
革小物をたくさん作って、チャリティーを兼ねたフリマをしようではないの、
と、わたし一人で勝手に盛り上がっています。

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これはみんな、夫の試作品。誕生日にはトートバックを作ってね、と頼んだものの覚えてるかなぁ。
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この本が、先生代わりのようですよ。トート好きなので、吉田カバンは私もファン。

手縫いで作る革のカバン

野谷 久仁子 / 日本放送出版協会


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by Annes_Tea | 2010-01-23 14:52 | お知らせ(イベント他)
ヨコハマの友だち
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シャンプー中のメルは耳がぺちゃんこになって、ボーダーからポインターに変身。
久しぶりに、つやつや王子さまになりました。


仕事で横浜まで行ったので、
「ヨコハマの友だち」に会いたくなった。
ケータイさんの出番である。
家で留守番ばかりさせていたケータイだったが、
連絡が取れたためしがないと言われたり、
電車が遅れて無断で遅刻になりそうなところを助けられたりしているうちに、
ようやく持ち歩くようになった。遅いデビューである。
いつ登録したのかも思い出せないが、
ちゃんと友だちのメールアドレスだけは入っていた。
彼女へ初メールをしてから小一時間後には、
東横線沿線の駅で落ち会えたのだから、
ケータイさんの働きぶりはたいしたものだ。
1年ぶりの再会は、
お互いに夕飯の支度を控えたほんのひと時だけである。
近況から、家族のこと、自分のこと、
人間関係の方法論だとか、
人生すべて益とされるとかなんとか。
話題の締めくくりは、献立の相談とレシピの交換になった。
わたしは彼女にレンズ豆の便利さを力説する。
「水でもどす必要はないし、15分で煮えるし、あとね、葉酸がたっぷり。
いいよ、おすすめ、ぜったい」
彼女が教えてくれたのは、タコスの皮に具を入れて焼くピザだった。
速攻ながらフルコースで硬軟取り混ぜて語り合えるのは、
学生時代の友ならでは。
手を振って「またね」と言ったときには、お互いさっぱりした気持ちになっていた。

わたしは中央線沿線に生まれ育ったので、
大学に入るまで東横線沿線の友だちがいなかった。
東京の鉄道はタテのラインに詰めが甘い。
近くて遠いヨコハマだったのだ。
彼女は、大学1年生のときに初めてできた「ヨコハマの友だち」である。
中華街の歩き方も、
チャーミングセールの楽しみ方も、
みんな彼女から教わった。
彼女が結婚をして東京の北の方で暮らし始めたとき、
友だち一同で、なんかへん、と言ったものだ。
結局、すぐにヨコハマ住まいに戻って子育てを始め、
以来ずっと、「ヨコハマの友だち」を続けている。

知らない町に、ひとりでも知り合いができれば、
知っている町に変わる。
実際に歩いたわけでもないのに、
心の距離が縮まるだけで、親しさが沸く。
ニュースでその地名を耳にすれば、
素通りできなくなったりもする。
今年もひとつ、ふたつ、と知り合いの町が増えてきた。
さて、どんな地図が心の中にできあがるのやら。



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by Annes_Tea | 2010-01-21 19:31 | 牧師館で暮らす
ふたつの向島
アートな秋の楽しみ方!

↓「玉ノ井プロジェクト・その1」は11月30日までです。
 牛久工務店の1階に作られた「玉ノ井ひと休み書庫」、ほっとひと息つけます。


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引き続き、今回もアートの話。

この夏、もうひとつの向島に行った。それもたまたま。
墨田区の向島と違って、本物の「島」である。
倉敷から電車とバスを乗り継いでアートな直島に行くつもりが、
急きょ、尾道に方向転換したのだ。

人生二度目の尾道は、海沿いの道を選んで歩いた。
曇り。瀬戸内海でもこんな日は鉛色の空になるんだ。
海の向こうはすぐに島。渡船の表示を見て、あ、と思う。
行き先が向島なのだ。
ムコウジマではなくて、ムカイシマ。
以前、墨田区と尾道にある「ふたつの向島」それぞれのまちで、
こぐまカフェを営む劇団トリのマークが、
「さかなおとこ」を探すというアートなまち歩きを開いた。
だれに頼まれたのだったか。
墨田区の向島で(ややこしい)「さかなおとこ」を探して歩く参加者たちに、
私は自転車部のかき氷自転車で、かき氷の販売をしたんだっけ。


e0165236_13361050.jpg向こうに見えるのが尾道の向島



尾道の向島まで、渡船料は100円、3分もあれば着く。
迷うほどもない距離、いざとなれば泳いで戻れそうだ。
夫と二人で船に乗り込む。
島を周遊するバスはすでに終わっていて、
港の周りをとぼとぼ歩くしかなかった。
出会ったのは、人ではなくネコばかり。
後で、ネコの島として知られていることを知った。
古い建物を再生したようなアートらしき場は、
徒歩では見つかりそうにない。
海に近づいて潮の匂いを確かめ、
あまりしないね、と夫と顔を見合わす。
ムカイシマに住む人の気持ちを想像して、島の方から尾道の写真を撮る。
ムカイシマの人にとっては、尾道の方がムカイにあるシマだ。

e0165236_211454.jpg向島から見た尾道はこんな感じ。

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墨田区の向島は、海ではなく、川のムコウである。
結婚するときに、
「川向こうに行っちゃうんだね」とやや年輩者に言われた。
島ではないのにシマと言われる土地柄に、一抹の不安はあった。
だいたい、川向こうなんて言い方、ちょっと見下してない?
「行っちゃうんだね」というその人の口ぶりが妙にひっかかった。

実際に暮らしてみると、
「行っちゃうんだね」の意味がうっすらわかる。
川泥をさらって埋め立て地にしたといういきさつ通り、
まちは全体的にじめじめしている。
庭は小さなカタツムリの宝庫だ。
向島の端っこのこちらは、花街ならぬ
レッドゾーン、つまり売春街の過去を持つ。
その過去をいやがって、玉ノ井という地名は、戦後、東向島に変更された。
その玉ノ井という地名に、
新しいイメージを掘り起こそうとしているのが、
今、近くで行なわれているアートな企画、「玉ノ井プロジェクト」である。
4代続く地元民のMさんに、このプロジェクトを教えてあげると、
「今さら玉ノ井だなんて、意味わかってるのかしら」と怪訝な顔をされた。
あ、マトモな反応だ。
うん、こうくるだろうな、とも思う。
でも、過去になされた愚かなことも含めて、
もう一度、まちの古きを知る中で、
きっとよいものも発掘されるはずだ。
新しい読み解きから新たなイメージが玉ノ井という地名に加えられていくとき、
何かがちょっとだけ始まるかもしれない。

通りすがりの私には、
尾道の向島で起きていることは直接見えなかったけれど、
「あの中で、けっこう面白いことを発信している若い人たちがいるんですよ」と、
まちとアートを結ぶ働きをしている人から最近聞いた。
何にもないけれど、何かはある。
古いまちが醸し出す、こんな匂いはしていたもの。
目に見えるところまで育つには、どこも時間がかかるのだ。
墨田区の向島の端っこの地・玉ノ井にも、
今度はよい種が撒かれるといいな。

e0165236_2172813.jpge0165236_2175645.jpge0165236_21111282.jpg←墨田区の向島を気に入って、新しく移り住んできたという若いアーティストのアトリエに行きました。アトリエの名前は、「スタジオ・シェッラハル」。説明書きによると、ムーミンの作者・トーベ・ヤンソンのアトリエのある小さな島「クルーヴハル」への憧れから、フィンランド語で「シェッラ=むこう」「ハル=島」、つまり向島という意味でつけたそうです。確かヤンソンは、生まれながらの島暮らしでしたよね。『島暮らしの記録』という自伝、気になったままでした。読もうかな。
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by Annes_Tea | 2009-11-15 21:31 | まちを歩く
まちとアートをつなぐもの
                          
          

e0165236_22282568.jpg八広にある元ソース工場を再利用したSource Factoryでは、中里和人さんと教え子であるゼミ生たちの写真展が開かれています。たまたま居合せた大家さんに、二階部分まで見せていただきました。5人のアーティストの共同アトリエになっています。
 

e0165236_22285014.jpg
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11月は個人的にはアート月間である。
9月に始まった「墨東まち見世2009」も、今月が山場になるらしい。
(過去記事こちら→)

教会は3つのイベントに場を提供する予定だ。
ひとつはまち歩きの写真ワークショップの講評会場として、
もうひとつは、まちとアートをテーマにしたシンポジウム会場として、
そして、久しぶりに「自転車部」主催で自転車カフェを開く。
(イベントスケジュール詳細はこちら→)

「墨東まち見世2009」とは東京都発のプロジェクトである。
墨東という広いエリアを、「アート」でつなぎ、
まちを元気にしたいという趣旨があるようだ。
やはり、スカイツリー(わかります? 第二東京タワー です)建設に向かって、
都会の過疎ともいえるへこんだ地域を、
なんとか活性化したいというのが真意だろう。

この手のプロジェクトは、
盛り上がっているのはおもに外部の人たち、
地元住人はイベント自体を知らないというのがパターンだが、
ここ数年で、少しずつ変化しているのを感じる。
「向島」という古びたまちを、
「アート」で新しく読み解こうとする動きは、
わたしが墨田の住人になる少し前から始まった。
そのときはまだ、
「外からきた得体の知れない人たち」が一時的に集まって、
地元の人が知らないうちにさっさと終わっているか、
あるいは、後は野となれ山となれとばかりに、
騒ぐだけ騒いで(たいていは学生の場合)、
イベントが終わると、
何ひとつまちによいものを残さずに立ち去ってしまうか。
とまあ、けっこう手厳しく書いたのは、
関わった結果、嘆くことになった人たちの思いを何度か耳にしたことがあったし、
実を言うと、わたしたち教会も、好意で場所を提供したものの、
後味の悪い思いをした経験があるからだ。

「アート」を携えてまちに入り込むときに大切なのは、
まち、建物、そして暮らす人々への敬意ではないかと思う。
敬意というと大仰ならば、リスペクトとでも言おうか。
この数年で、向島でアートとまちが少しずつ寄り添ってきたのには、
その手のリスペクトをわきまえながら、
向島のよさを新たに引き出すような試みを続けてきたアート周りの人たち、
そして、
向島界隈を好み、
自ら選んで移り住んできたアーティストたちの存在が大きいのではないか
と感じている。
一過性のお祭りではなく、
根ざすことも大切にしていく気持ち。
その方向の違いを、地元住民は敏感に嗅ぎ取るものだ。
何もこれは、アートに限らず、
商業施設でも、もちろん教会にも言えることだろうけれど。

先週の土曜日は、
教会から歩いて数分のところに、「玉ノ井ひと休み書庫」がオープンした。
これは、「玉ノ井」の魅力を新たに作り上げていくことを目指し、
いろは商店街が主体的に関わったプロジェクトの初めの一歩である。
この書庫は、11月いっぱいまでの開催だが、
その後も、商店街の活性化のために、
長期的に何かしらの活動がされていく予定だ。
教会も、その仲間に加えていただいている。
墨東エリアで言えば、地図にちょうど切れてしまうこの辺りにも、
ようやく「アート」がやってきたわけだ。
お待ちしてました。
でも、リスペクトだけは、決して忘れないでね。

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「墨東まち見世2009」の開会式では、地元京島の商店街で買い集めたお惣菜がパーティ料理として用いられていました。こういうの、いいですよね。しかも、お店の写真とマップ付き。この時とばかりに、餃子の食べ比べしちゃいました。

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屋台制作も、これまた地元の工務店の若だんな。
(あ、写真の男性ではありません)
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by Annes_Tea | 2009-11-08 22:53 | まちを歩く
たった1週間のシーズナルフラワー

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今年も咲いた。
「彼岸花」と書いても「曼珠沙華」と書いても、
教会とは字面がなじまない花だけど、
教会暮らしの身に、季節の変わり目を教えてくれるシーズナルフラワーである。

ある日、何の予兆もなく、それは唐突に地上に顔を出す。
隣家との境に植わっている芙蓉の足元に、
ひゅんと何本もの茎が伸びたかと思うと、
翌週には赤い花をいっせいにつける。
それが、毎年決まって、敬老の日にいちばん近い日曜日なのである。
教会の人たちも、礼拝の朝、赤い花を見つけては、
あ、咲いたねぇ、と1年ぶりの対面に目を細める。
花のいのちは、1週間がいいところだ。
触れても大丈夫ではあるが、
毒性があると聞いてから、枯れたら枯れたままにしておく。
やがて次の秋まで、曼珠沙華のことはすっかり忘れ去ってしまう。

連休の午後、
ふだんは行かないところまで、隅田川沿いをメルと歩いていたら、
新しく造られた土手に、群生している曼珠沙華を見つけた。
そこだけ芝生が削り取られ、
人間の手で植えられた痕跡が生々しい。
曼珠沙華という花は、
自然に発生するようなものかと思い込んでいたので、
その造り込まれた雰囲気が意外だった。

曼珠沙華が植えられたあたりには、
ネズミもモグラも近付かないという。
わたしもメルも、遠巻きに眺めて、この日は静かに通り過ぎた。

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秋、ですね。でも、半袖のTシャツで過ごしています。


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ついでに足を伸ばした浅草界隈から、建築中の東京タワーを撮影しました。いつも墨田区側から見ているので、台東区側から見た様子が妙に新鮮でした。押上に住む知り合いが、「目の前にあって、じゃまなのよ」とこぼしていました。

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by Annes_Tea | 2009-09-23 00:47 | 日々の庭と花
たまには隅田川に犬の散歩へ
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いつもと違うルートを選んで、“ゆる散歩”に繰り出した。
夫がいないと、家事が楽になる。
部屋は汚れないし、洗濯物も減る。
食事はありあわせの野菜で済ませてしまう。
浮いた時間を使って、メルと少しだけ遠出をするというのは、
留守番の愉しみでもあるのだ。

たとえば荒川ならば、北千住方面へさらに進む。
河川敷の幅が広がって見通しがよくなり、日差しも明るい。
反対に小菅方面へ向かうと、少々暗い感じはするものの、
ビオトープがあって、トンボたちに出会う。
隅田川沿いを浅草まで歩くルートも楽しい。
ただし、道幅が狭いので、ボーダコリーには危険がいっぱいだ。
いつも以上に気を張って歩かなくてはならない。
同じボーダー仲間のひとりが、
「ボーダーコリーをここで飼えるのは、荒川河川敷があってこそ」
と言っていたが、その気持ちはわかる。
荒川があって、本当によかった。
そうでなければ、今ごろボーダーに必要な運動量の多さに、
日々、悩まされていたことだろう。

ありがとう、荒川。
でも、今回はゆる散歩が目的なので、
あまりに日常的な荒川を離れて、隅田川を歩くことにした。
目指すのは、浅草とは反対方面にある都立汐入公園である。
できたばかりのころはよく利用したのだが、
マンション暮らしの小型犬たちが続々と増えるにつれて、
すっかり足が遠のいてしまった。
おまけに、走れそうな芝生広場には、子どもの遊具もある。
つまり、どらちを向いても、
ボーダーの本能を引き出してしまう条件がそろっている。
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それでも、場所さえ選べば、メルとの散歩は快適にできる。
川面にいちばん近いコースは、たいてい無人なのである。
たとえそこを歩いている人がいたとしても、
日中に見かけるのは野外生活者のオジサンたち。
川沿いに住むのはルール違反だけど、ある意味では先住の人たちとも言えるのかしら?
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この公園を隅々まで歩いてみると、
地面に高低をつけて、特に人が憩うスペースからは、
対岸にあるブルーシートのおうちが、うまく見えない作りになっているのがわかる。
そこにたたずめば、広がる緑と空に囲まれるのだ。
マンションの向きや作りについても、
ベランダから見える景色をうまく選んでいるようである。

汐入公園から始まる隅田川の向こうのまちは、この先も開発が続くようだ。
ここに来る度に、東京のまちづくりって何かな、なんて少しだけ考えされられる。
まあ、こんな風にまちを再認識することこそ、旅の醍醐味なわけで、
ゆる散歩の目的は果たせたのかな。

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まち歩きのツアーを行うときには、隅田川をはさんで、墨田区と足立区をつなぐこの橋から両岸の風景を見てもらうことにしています。ブルーシートのおうちが立ち並ぶ墨田区側と、新しいマンション群の立ち並ぶ足立区側の対照的な風景に、今という時代が表れているように思うからです。

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こちらは墨田区側の景色。
対岸に汐入公園ができて、ブルーシートのおうちは強制撤去が続いたそうです。以前は、ここにびっしりと並んでいましたが、今はこの通り。まちの美化のためには、よいことだと思います。ただし、ここより下流になっていくと、再びおうちは増えていきます。ただの空間移動ですね、これでは。最近の傾向としては、家はさらに大きく、きれいな四角形になっており、こうなると「ホーム」が「レス」という言い方は合いません。東京都がホームレス支援で力を入れているのは、都営住宅に月3000円ほどの家賃で住居させる、というものだそうです。でも、実際には入りたがらない人が多いのが実情なのだと、NPOの職員さんが教えてくれました。

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こちらは汐入公園側です。隅田川に沿ってビオトープが設けられています。メルは葦の中を何度ものぞき込んでいました。何かいるのかな?



 
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でも、対岸のきれいな景色が見えるのは、川向こうと言われるわたしたちのまち側からなんですよね。整備された足立区側から見えるのは、昔ながらのすみだ。(左) 綾瀬橋のところには、こんな造船所がまだ残っています。この辺りには、馬を飼っている人がいるという話も聞いたことがあります。


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by Annes_Tea | 2009-08-15 23:16 | まちを歩く
花火見物、地元スタイル

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隅田川の花火を見た回数も、5本の指では足りなくなってきた。
下町育ちの夫は、見ても見なくてもという風だが、
わたしはせっかくなら見たいという気持ちの方がまだ強い。
ただ、混雑した浅草まで行こうとは思わなくなった。

自転車で見物に行くのが、わがやのスタイルだ。
たとえば、今戸。南千住はちょっとした穴場。向島もなかなかだ。
でも、今年はもっと手を抜いて、メルの散歩のついでに見物するつもりだった。

土曜日の夕方、会堂でピアノの練習をしていたら、
自転車に乗った人たちが教会の前を大勢通り過ぎていくのが見えた。
浴衣姿の人たちも、一人や二人ではない。
ああ、始まるのか。
どどーん。一発目の音がした。
メルの散歩に行く時間はもう過ぎている。
でも、今夜はあと少しだけ待つつもりだ。
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夜7時、待ちわびて気も狂わんばかりのメルにリードをつける。
水戸街道へ向かう人たちとは反対に、荒川土手へとルートをとる。
土手に着くと、先客が思い思いの場所にちらばっている。
ここからは、ビルとビルの谷間から見るしかない。
それでも土手のいちばん高いところならば、だいたいどこからでも大丈夫だ。

夫は土手の下まで降りて、メルと遊んでいると言う。
わたしひとり、ビュースポットを探す。
歩いていると、見慣れたボーダーさんを見つけた。
会えばおやつをあげる仲なので、
ボーダーさんが遠慮がちに近づいて、わたしの指先をじっと見つめる。
なあんだ、何にも持っていないのね。
と言わんばかりに、そのボーダーさんはすぐさま向きを変えて、
飼い主のところへ戻る。

ボーダーさんの飼い主も昔からの下町の人だから、
三、四発花火が打ち上げられると、
「もういいや、帰ろう」と言って立ち去った。
根っからの地元の人たちにとってみれば、
昔はどこからでもよく見えたのに、世知辛いなあ、ということかもしれない。
毎年、花火見物を売り文句にしたようなマンションが増え続けている。
さらに高く、もっと高く。
これはバベルの塔以来、人間の変わらない望みなのだ。
去年は家から見えたはずの花火が、
今年は見えないね、なんて話もよく聞く。
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30分は見ていただろうか。
気がつくと、夫とメルの姿がない。
携帯電話を忘れたので、真っ暗な土手の端から端まで歩いて探す。
あれかな、と思って、
メル、メル、メールー、と叫ぶと、
暗闇から、びゅんと元気なかたまりがすっ飛んで来た。

メルは花火を見ない。
メルが好きなのは、ボールとわたしたちだ。
ごめん、ごめん。しばし花火は忘れるから。
ボールを投げると、メルは大きくしっぽを揺らしてかぶりつく。
夜風が心地よい。
夏には夜の散歩もいいね、メル。

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by Annes_Tea | 2009-07-27 11:28 | まちを歩く
江戸キリシタン殉教地を歩く

今年はプロテスタントの信仰が日本に伝えられて150年に当たる。
先週、全国の教会をあげて、宣教150周年の祝会が横浜で開かれた。わたしたち夫婦も、最終日の礼拝に出席することができた。礼拝後は遠方の牧師先生たちなど懐かしい顔に次々と再会し、ちょっとした同窓会気分だった。母教会のHさんは「あの課題どうなった? 今も祈ってるよ」と言う。Hさんは会社員時代、昼休みになると屋上へ行き、
数百人はいる教会員の名簿を手にとりなしの祈りを続けてきた強者である。やっぱり、覚えていてくれたんだぁ。まだ叶っていないと言うわたしに、「じゃあ、引き続き祈ってるね」と励ましてくれる。

キリストを愛するわたしたちをつなぐものは祈りである。そして、時代から時代へと信仰をつないできた力も、祈りにある。祈り継がれ、そして今、わたしがここにクリスチャンとして生きている。江戸キリシタンの殉教地をめぐるツアーに参加して、あらためてそのことを認識した。

今、「クリスチャン」と言えば、プロテスタントとカトリックいずれかの信仰を持つ人のことを意味する。一方、「キリシタン」というのは、室町末期、宣教師によって日本にもたらされたカトリックの信仰を持った人たちのことである。豊臣秀吉以来、キリシタンは禁教とされ、明治維新から6年も経った1873年にようやく切支丹禁令が解かれた。それ以来、プロテスタントの信仰を携えて数多くの宣教師たちが日本に渡って来た。よく知られているイエズス会のザビエルが鹿児島に上陸したのは、それよりもはるか昔、1549年である。キリシタンからクリスチャンへ。このつながりはひとつなのだ。

今回のツアーの目的も、祈りだった。残虐な血の流された地はわたしたちに向かって叫びをあげている。これは聖書に書かれていることばだ。そして、その地のために祈れ、とも書いてある。下町の牧師や宣教師を中心に集まり、キリシタン殉教史を研究している人をガイドに招いた。江戸には、鈴ケ森と小塚原の二つの処刑場があった。今の地名で言えば、田町と南千住、つまり江戸の北と南の入り口である。新しく江戸に入ってくる者に対して、処刑者の生首を晒すなどして警告の意味を与えたと言われている。「恐れ」によって人を縛るやり方は、日本の政治の歴史が持つひとつの側面だと思う。ツアーはこの二つの処刑場をつないで、東京を車で縦断するルートをとった。



*以下、個人でも周りやすいように、実際のツアーとは異なる順路で紹介します。

南千住小塚原→カトリック浅草教会→小伝馬町牢屋敷跡→キリシタン坂→キリシタン屋敷跡→カトリック高輪教会→札の辻(元和大殉教記念碑)

小塚原刑場
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鐘ケ淵の駅から続く道をわたしたちの教会のある側とは反対へ歩いていくと、墨堤通りに出ます。首都高速に続く坂を上って隅田川を渡り、足立区南千住に入ります。JRの貨物場くらいしかなかったこの土地は、数年前から始まった再開発によって、高層マンションの立ち並ぶ新しい住宅街に様変わりしました。その新しいまちを通り抜け、JR南千住駅をめざして進むと、日光街道に出ます。それまでとは打って変わった古色蒼然としたまちの匂いに、タイムスリップしたような錯覚にとらわれます。左に直進すれば、ほどなく山谷地区です。山谷通りは通称「コツ通り」と呼ばれています。処刑場のあった「小塚原(こつかっぱら)」を略したとも言われていますが、この辺りは少し掘るだけで処刑された人たちの骨が出てきたらしく、そのことにちなんだ名前でもあるようです。ここは、蘭学者・杉田玄白たちが、「ターヘル・アナトミア」を手に入れ、刑死者の解剖に立ち合って、その解剖図を確かめたという史実でも有名です。現在、刑場跡は延命寺内にあります。寺の入り口に近づいただけで、異様な空気が感じられました。首を切られて顔のない巨大な地蔵が、入ろうとする者を見下ろし、圧倒されます。わたしはときどき、地の叫びを強く感じることがあり、そのような場合には鳥肌が立ち、気持ちの悪さに襲われます。でも、その気持ちの悪さがなくなるまで、地のために祈り続けると、やがてその感覚は去っていきます。今回のツアーの中でも、とくに深く祈らされた場所でした。


南千住回向院
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小塚原のすぐ近くに、刑死者を弔うために建てられました。ここにはねずみ小僧の墓など、江戸の有名どころの墓があり、まち歩きのスポットになっているようです。


小伝馬町江戸牢屋敷
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地下鉄小伝馬町駅のすぐそばにあります。江戸時代には懲役刑はなかったので、ここは刑務所ではなく、未決囚や有罪判決を受けた者を、刑の執行まで拘禁する施設でした。敷地は広大で、現在の十思公園、大安楽寺を含む2700坪ほどもあったそうです。安政の大獄で収容された吉田松陰終焉の地として、今も碑が残されています。


鳥越の殉教記念碑(浅草カトリック教会)
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浅草・鳥越には、処刑場があり、後にそれが小塚原に移転されたようです。鳥越神社の辺りには、ソテロ神父が建てたハンセン病患者の施設がありました。病院内の礼拝堂を拠点に活動していましたが、1613年に信徒たちが捕らえられ、小伝馬町の牢に収容された後、処刑されました。これが「鳥越の殉教」と呼ばれるもので、現在は浅草カトリック教会の裏手に、記念碑がひっそりと立っています。


キリシタン坂と小石川キリシタン屋敷
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文京区春日から、「庚申坂」と呼ばれる石段を小日向に向かって下って行くと、地下鉄の小石川検車区車両場に当たります。その下を抜けると、再びなだらかな坂道になります。これはキリシタン坂と呼ばれ、7000坪ほどのキリシタン屋敷が広がっていました。

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現在の地名で言えば、茗荷谷にあたる場所です。呼び名からキリシタン大名の屋敷かと思ってしまいますが、ここは激しい拷問で信仰を捨てさせたキリシタン(ころび信者)を幽閉するための屋敷牢でした。一度はころんでも、再び密かに信仰を伝えようとするキリシタンたちの処置に困り、ひとつの敷地内にまとめて住まわせ、世間から隔離する策がとられました。現在は、なだらかな坂をはさんだ閑静な住宅街で、当時の記憶など何ひとつ感じさせません。それでも、迫害されたキリシタンの子孫が今なお暮らしている家や、殉教記念館を個人的に営んでいる方もおられるようです(非公開)。宣教師たちが多く幽閉されたために、鎖国中だった日本にとっては、ある種、長崎の出島のような異文化交流の場の役目を果たしたとも言われています。1725年、延焼によって屋敷は焼け、倉庫だけが残りました。


カトリック高輪教会
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1622年、長崎で宣教師などキリシタン55名が火刑および斬首されました。元号にちなんで「元和の大殉教」と呼ばれるこの事件に続いて、翌年には、三代将軍・徳川家光の命により、江戸でも50名のキリシタンが札の辻で処刑されました。この殉教地に近いカトリック高輪教会には、江戸大殉教の記念碑と、地下には大殉教に関する資料が展示されています。獄死なども含めると、江戸時代における殉教者は4〜5万人という説もあります。収蔵されている踏み絵は、踏まれ過ぎたのでしょうか、摩擦のために表面はつるつるでした。プロテスタントでは、キリストの像を作ったり拝んだりしないので、これを踏むことに何の意味もないと思いますし、また、実際、キリシタン発見にはあまり役立たなかったようです。それよりも、このような方法でキリシタンかどうかを見極めようとしたところに、日本人の精神性が表れていて興味深いと思います。


江戸の殉教の記念碑
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教会の中庭に立てられた記念碑です。大理石のモニュメントに入ってみると、まるで万華鏡の中のような不思議な世界が広がっていました。天井にちりばめられた十字架のスリットから差し込む光がステンレスの壁に反射をして、幻想的なダンスを繰り広げていました。


札の辻・元和大殉教跡地
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北の刑場・南千住から始まった今回の殉教地をめぐる旅は、南の刑場である札の辻で終わりです。わたしたちはルートを車で走りましたが、当時は、小伝馬町の牢屋から、札の辻まで自分たちの処刑のために、徒歩で行進させられました。江戸時代には、札の辻は、高札場だったことからその名がつけられ、全国各地に同じ地名があるようです。


元和キリシタン遺跡
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処刑が行なわれた札の辻は、現在、住友不動産三田ツインビルの敷地になっています。東海道の入り口であるこの場所に、街道に沿って火刑のための50本の柱が立てられたそうです。わたしたちが訪れた季節には、シバザクラが一面に咲いていました。都教育委員会が整地し、この記念碑を立てました。亡くなったキリシタンに対する鎮魂の意味を込めて、美しい広場にしてあるそうです。血の歴史の場所を、美しいもので覆って慰めたいという気持ちは理解できます。

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この広場のいちばん奥、ゆるやかな階段をのぼった高台に、碑が置かれています。さらにのぼっていくと、済海寺へとつながっています。長崎の殉教地をめぐる旅をしたときにも感じたことですが、キリシタンの殉教が起きた場所の多くは、現在、寺になっています。また、そのまちを囲むように小高い場所に寺を林立させているのも見られます。これは、キリシタンたちの信仰を封じ込めようとしているものかと思っていましたが、今回、案内役の方から、処刑されたキリシタンたちに祟られないようにするという意味が強いのだと教えていただきました。聖書には、「死者が相手を祟る」という発想はありません。まさに、「死者の祟り」という発想こそ、日本人に特有のものだと思います。よくないことが起きないように、供養をしたり、お祓いをしたり、供え物をしたりと、今でもさまざまな形で表れています。

キリストが十字架に架けられたとき、最後にこんなことばを残しました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカの福音書23章34節)。相手を祟るのではなく、相手のしたことにかかわらず、赦すこと。この「赦し」こそ、キリストの愛の姿であり、わたしたちの内側が自由にされる祝福への鍵なのです。今回、キリシタンたちを迫害する側の人間の残酷さを知るほどに、この人たちのしたことを赦すのは、人間の力ではとても不可能であることを痛感しました。赦しの力は、ただ神の愛からあふれ流れ出るものであることを、それぞれの地を踏み、祈るたびに思い、感謝せずにはいられませんでした。

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by Annes_Tea | 2009-07-12 23:21 | お知らせ(イベント他)


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