下町すみだ      築70年の牧師館暮らし。犬と庭と日々の糧。              
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん

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犬を見送る♯4 ペットロスにならないために必要なグリーフ・ワーク

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夫とメルの姿を撮ることは、
11年間のライフワークでした。
さて、次はどうしましょう。


今年はすっかりさぼっていたブログだが、
こうして一気にメルとの別れを書いているのも、
一種のグリーフ・ワークだと思っている。

グリーフ・ワークとは、
喪失を経験した人が、
悲しみなどの感情を表に出していくなかで、
その痛みがいやされていくプロセスを言う。

話すことは、離すこと。
いえ、悲しみと離れるのではなく、悲しみを健全に放つこと。
そうしてやがて、悲しみは手放されていく。
私にとって書くことには、話すこと以上の力がある。

「悲しみや寂しさは消えなくとも、それにまさる慰めがある」
と教えてくれたのは、
2年前に犬を亡くした知り合いだ。
もしもこれが12歳の人間を失ったのであれば、
打ちのめされて簡単には立ち上がれないと思うが、
相手は犬。そこのところは、混ぜこぜにしてはいない。

けれども、悲しみの感受性はひとりひとりまったく違う。
たとえ犬であろうとも、
失ったものの大きさにたじろいでしまう場合だってある。
前述の犬を亡くした方のお連れ合いから、
一時期、まさかのペットロスになったとうかがった。
毎日毎日、ひたすら草むしりをしてたような状態だったという。

グリーフ・ワークについては特別に関心がある。
教会の大切な働きのひとつでもあるので、
これまでも機会を見つけては学んできた。
死生学で著名なイエズス会司祭のアルフォンス・デーケン先生や、
2年ほど前に亡くなられた精神科医の平山正実先生の講義からは、
とくにたくさんの示唆をいただいた。

じつは、この4月から思うところがあり、
再びキリスト教カウンセリングを学んでいる。
最低でも2年間は通うことになるため、
かなり悩んだ末に、決断した。
人が難しくなっている。日々、痛感する現場にいる中で、
もう一度、心について、支援について、
体系的に学ぶようにと押し出されたかっこうとなった。

メルの病気がわかったころ、
ちょうどグリーフ・ワークについて学んだところだった。
悲嘆するのは人間として自然のことだ。
そのプロセスで「怒り」の表出がいちばん重要だとも言われている。
例えば、なぜ死んだのかという問い。

メルについては、
あまりにも死までが短期間であることには驚いたが、
なぜ、どうして、という問いはまったく浮かんでこなかった。
むしろ、メルが次に進んでいいよ、
とサインを出してくれた気がしていた。
じつは昨年後半ごろから、ひとつのひっかかりがあった。
これから新しくやっていこうと考えているいくつかのことに、
老犬となっていくメル、
しかも、ちょっと難しい気質のメルは、
果たして変化に適応できるだろうか。
新しいことにとりかかる時期や方法を祈っていたのだ。

メルが重い病気だと知ってからしばらくして、
ああ、人生のひとつのシーズンが締めくくられるのだ、
と妙に納得したところがあった。
そうして、今、メルの死を消化していくグリーフ・ワークは、
「進め」に行く前の準備期間だと受け取っている。
いいんだね、進んでいくよ。
神さまから与えられた思いをよく確かめて、
一歩一歩進んでいくからね。
ときどき心の中で、メルにこう話しかける。

前回のブログにも書いたことだが、
メルの病気を通して、
たくさんの方々から、
思いやりと慈しみを注いでいただき、
感激することの多い日々だった。
あるいは、夫の優しさを、新鮮な思いで見直すことも多かった。

人の心の難しさを学び直している中で、
ときどき人って(もちろん自分も含め )メンドウだ、
と叫びたくなるようなときもある。
でも、やっぱり人って、すごいな、
カミノカタチに創られたことだけのことはあるんだ、と思う。

犬を知っている人、
犬を愛している人、
たくさんの人たちがことばや品物や祈りで、
私たちに思いを届けてくださった。
どちらかというと励まされるよりも、
ふだんは励ます役割を担っているので、
これらはとても貴重な体験だった。

何時間もかけてメルに会いに来てくれた大学生。

あるいは、祈りの友。
体調が悪いにも関わらず、
メルが危ないと知るや、
隅田川の向こうから自転車を飛ばして応援グッズを山ほど持ってきてくれた。
脱水症状改善の特別な水や、
食欲のない時の必殺おやつだとか。
彼女は、メルの死の前日にも、
マリー・ビスケットを持ってきてくれた。
彼女の経験によると、
どんな犬でもマリー・ビスケットは喜んで食べるらしい。
メルには人間の食べ物をあげたことはなかったのだが、
喜ぶならばと差し出してみると、
かりかりと小気味良い音を立てて食べきった。
犬人生最初で最後のマリー・ビスケットだった。

立ち話でメルの死を知って、
一緒に涙ぐんでくれたおばあさん。
この方とは、メルの散歩の際、
挨拶だけの仲だったのだが、
私たちを励まそうとして、
たくさんたくさんご自分の話をしてくださった。

近所のボーダー・コリーもそうだ。
いつも素通りするボーダーさんなのに、
メルが死んだ日やりきれなくて、
道路に面した花壇の整備に精を出していた私の横に来ると、
そのまま静かに座ったのだ。
飼い主さんにメルのことを知らせ、
少し立ち話をしている間も、
私の横を去ろうとはせず、
ふわふわした胸のあたりまで触らせてくれた。

メルがサヨナラしたと知るや、
多くの人たちが花を届けてくださった。
いちばん驚いたのは、
荒川河川敷で犬の散歩で会うだけの方が、
教会まで花かごを持って来てくださったことだった。
犬の散歩で会う人とは、
お互いに犬の名前しか知らない。
私たちは教会暮らしなので、
どこのだれかと知られていることが多いが、
私たちの方では、相手のことをほんど知らないにも関わらず。
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動物病院から届いたのにはびっくりしました。
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バーニーズ・マウンテンドッグの飼い主さんから。
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夫の幼馴染が、朝早く訪ねてくださり、
メルに、と白いバラの包みをそっと。
こういうの、すてきだな、と思いました。
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百合、百合、百合だらけなんです。
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復活と永遠の希望の香り。


今も花はリビングを明るく彩っている。
「まるで花屋さんだね」と夫が言う。
美術教師をしていた夫が、
高校の美術展のために描いたメルの絵を飾り、
いただいた花を周りに配した。
メルの火葬時にいただいたカサブランカは、
一本ずつ花開き、一本ずつ枯れ、
それでも強烈な甘い香りを放っている。

もう何年も会っていないという夫の友人から、
お見舞いとして紅茶が届いた。
マリアージュ・フレールのマルコポーロだ。
メルが死んだ日、
私はいつも以上にていねいに紅茶を入れた。
沸かしたての湯、丸いポットの中で跳ね回る茶葉。
内側の真っ白なボーンチャイナのティーカップに注ぎ、
夫と静かなお茶の時間を持った。
いい香りだね、と夫が言う。
ほんと、いい香り。

これからきっと、マリアージュ・フレールの紅茶を飲む度に、
メルのことを思い出すのだろう。
紅茶とメル。
私の大好きなふたつが、はからずも結びついた瞬間だった。

今もふと、電車に乗ったときに、涙が浮かぶ。
電車の中では、だれもがだれでもない他人となるせいか、
心の深いところから思いが自然とせり上がってくるようなのだ。
改札から人の群れに流されて歩いているときにも、
夜の献立を考えている頭の一方で、
ああ、メルに会いたい、とつぶいやいていたりする。
あるいは、土間に続く扉を開けたときに、
いるはずのメルがいないとわかったときのほうけたような気持ち。

でも、悲しいというよりも、
11年半の日々をいっしょに生ききった楽しさの方が強く、
つい狭くなりやすい私の心が、
優しい力で押し広げられたような解放感がある。

犬はもういいや、とはいっこうに思うことがなく、
犬のいない生活なんて、と思っている自分に驚いている。
いつか、そのうちに。

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これで、メルとの別れの話はおしまいです。
読んでくださったみなさん、ありがとうございます。



こころに届くことばたち。好評発売中のエッセイです。



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by Annes_Tea | 2015-07-05 20:44 | ボーダーコリーのメル
犬を見送る♯3 犬の火葬をどうするか
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いつだって車が大好きだったメル。


メルが死んだらどうしよう。
気持ちの問題ではなく、火葬の話だ。
メルが血管肉腫だとわかってから、
メルの骨をどうすればいいのかを考え始めた。

いやしてくださいと祈っているのに、
夫に尋ねるのは申し訳なくも思ったが、
死んだときのことを考えておくのは、
プレ・グリーフワークとして私には必要だった。
家族の一員がいなくなることを、
少しずつ受け入れていく。
実際に死を迎えたときに慌てないように、
後でこうすればよかったと後悔しないためにも、
きちんと考えておこうと思っていた。

犬は「死ぬ」のか「亡くなる」のか。
微妙なことばの使い分けにも戸惑った。
犬は犬。犬という家族。家族だけど犬。
少々クールかもしれないが、
私のスタンスはこれだった。
だからあえて「死ぬ」ということばを使うようにした。
でも、周りはクリスチャンが多いので、
「犬が召される」と表現する人も少なくなかった。
日本語の正誤はともかく、
そういう気遣いに私はひそかに感謝した。

飼い犬の死を体験したことがある ?
会う人ごとに尋ねてみると、
子どものころに経験した人が少なからずいて、
そのときの衝撃が忘れられず、
もう二度と犬は飼わないと決めている人が多かった。
庭に埋めた人、
保健所にお願いした人、
動物霊園や寺にお願いした人と、
選択肢は十人十色だ。

問題は骨のようだった。
焼いた骨を手元に置きたいかどうか。
もしも必要ないならば、保健所がいちばん安上がりだ。
公共の焼き場で、
ペットを受け入れている自治体を探すのも難しくない。
ただし、市町村によっては、
住民以外が依頼するのは無理だったり、
値段が何倍も高くなる。
骨を戻してもらうならば、
東京近郊、少し遠くの方まで足を運ぶ必要がありそうだった。

墨田区民は昔から、
両国にある回向院に持ち込む人が多いらしい。
メルがお世話になった動物病院でも、
回向院と多摩動物霊園を教えてくれた。
どちらも寺。そうだよね、寺。
調べてみると、読経代だとか、卒塔婆代だとか、
仏教用語が飛び交っていた。
立会い葬儀、合同葬儀、などとあり、
犬に「葬儀」ということばを使う感覚が私にはなじまない。
それに、値段の高いこと。当然、商売なのだ。

メルの名前は本当はメルキゼデクだ。
旧約聖書に一箇所だけ出てくる王さまの名前で、
キリストの雛形だと言われている。
平和の王とも呼ばれている。
教会の犬だもの、読経ではかわいそうだし、葬儀もいらない。
そもそも、葬儀というものは、
死者への敬意とともに、
生きている人たちのグリーフワークの意味合いが強い。

私たちの教会は、
千葉の印西にあるキリスト教墓地にお墓を持っている。
入りたい人は、教会員ならばだれでも入れることになっている。
教会には通わなかったけれど、
亡くなる前日に洗礼を受けて、
教会のお墓に入っている方もおられる。
お墓といっても復活と希望の象徴の場所だから、
十字架の並ぶその地は穏やかで明るく、
ピクニック気分で年に一、二度はみんなで出かける。

さすがは犬好きの教会だけあって、
メルも教会のお墓に入れればいいよ、
と教会の役員が言う。
家族の一員だった動物たちが、
ともにお墓に収まるのも面白いかもしれない。
その寛容なアイデアに微笑んで、
ありがとうございます、と私は答えた。
入れるにしても、
だれか人間が入るときのついでになるだろう。
あるいは、私たちが入るときかもしれないし。
そのころには、いろんな人でお墓の中は賑わっているだろうか。
いえ、賑わっているのは天国でなければ。

犬も天国に行けるのだろうか。
神学的な論議をしても仕方のない問いなので、
聖書に書いていない疑問は、
神さまの領域としてお任せすることにしている。
私はヨブ記38章にある、神さまがヨブに答えるこの表現が好きだ。

「ここまでは来てもよい。
 しかし、これ以上はいけない。
 あなたの高ぶる波はここでとどまれ」

ヨブ記の最終章で、
ヨブの方はこんなふうに神さまに言っている。

「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、
 だれでしょう。
 まことに、私は、
 自分で悟りえないことを告げました」

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話を戻すと、火葬のことだった。
餅は餅屋だ。
キリスト教専門葬儀社に尋ねることにした。
もちろん人間専門の葬儀社だ。
懇意にしている方に連絡をすると、
奥さまが大の犬好きだとわかり、
丁寧に応対してくださった。
自分の家の犬が苦しまずに最期を迎えられるようにと、
毎回、断食して祈るという。
いったいこれまで何匹の犬を見送ったのだろう。
メルにも「そのとき」が来たら、
笠間にある焼き場まで運び、
後日、骨を届けてくださるとまで申し出てくださった。
笠間の焼き場は、良心的な民間の施設だという。
笠間は焼き物のまち。
煎茶道を学んでいた関係で何度か訪れた。
少しはゆかりのあるまちだ。

「そのとき」の算段がつき、人間たちはほっとした。
メルの状態と言えば、
寝たきりというでもなく小康状態が続いていたが、
長くはないのだとどこかでわかっていた。
それでも、神さまからのプレゼントは続き、
火葬の見通しがついてから「そのとき」まで、
1週間はいっしょに過ごすことができた。

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薬を嫌がるので、こういったおやつにくるんであげました。


「そのとき」が来る前日、
メルがごはんを食べなくなった。
薬を砕いて、チーズや好物の牛タンのおやつに混ぜ、
あの手この手と試してみたが、
食べるということに、力尽きているようだった。
あのメルが、食べない。
いつだっておやつを欲しがっていたメルが。
いまや、お腹は膨れ上がっていた。
かわいそうに。血管が破れ、血液であふれているのだろう。
ひどい貧血状態なのかもしれなかった。

病気になってから、
メルの声を聞くことはほとんどなかった。
それが、この日、例の「ぴよぴよ」を
か細い声で繰り返した。
私たちのどちらかが駆けつけると、
安心して鳴き止んだ。
一日中、そんなことが続いた。
後で思えば、きっと不安だったのだろう。

後日、獣医さんが教えてくれた。
犬は自分が死ぬ時をちゃんとわかってるのだと。
犬は今を生きている動物だから、
明日どうなるかと不安になるわけではない。
今、ここにいるよ、とメルが言っているような気がしていた。
わかった、わかった。
私たちも、今、ここにいるよ。

「そのとき」はあっけなかった。
土間に続く夫の部屋のドアを開け、
いつでも異変に気付くようにしていた。
もしかして、息をしてない ?
慌ててふたりで駆けつけて、
メル、メル、と呼びかけた。
メルは大きく2回息をしようとしたのだが、
そのまま呼吸が止まってしまった。

びょおびょお泣いた話は、
このブログにすでに書いたので、
火葬の話に再び戻る。
夫は用意してあった2枚のダンボールを使って、
メルを運ぶ棺を作った。
特大のおしっこシートを敷き詰めて、
メルをきれいに拭いてから中に入れた。
おしりも、おなかも、私の好きな耳の後ろも、
みんなまだ温かかった。
そのぬくもりに、泣けて泣けてしかたなかった。

私は人間の葬儀のときに朗読する黙示録を開いた。
夫は感謝のお祈りをした。
メルを与えられたこと、
その時間のすべてが感謝だった。

「見よ。神の幕屋が人ともにある。
 神はかれらとともに住み、
 彼らはその民となる。
 また、神ご自身が彼らとともにおられて、
 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
 もはや死もなく。
 悲しみ、苦しみもない。
 なぜなら、
 以前のものが、
 もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:5-4 )

「そのとき」が来たので、
葬儀社の知人に連絡をすると、
翌日、私たちが茨城の結城市まで届けることになった。
1日半の間メルを保冷しなくては。
ありったけの保冷剤をジプロックに詰めて、
ダンボール棺の隙間に入れた。
もちろんそれでは足りないので、
ドライアイスを買いに行くことにした。
墨田には適当なところが見つからず、
浅草の氷屋に電話をして予約した。
ドライアイスは、換気さえ注意すれば24時間持つ。
バイクを飛ばし、夫は3㎏のドライアイスを持ち帰ってきた。
店といっても小さな倉庫のような建物で、
何度も呼ぶとようやくおばあさんが出てきたという。

ダンボール棺の中に横たわるメルは、
眠っているようにしか見えなかった。
メルの顔の部分だけを扉のようにダンボールに細工し、
私も夫も、扉を開けては、何度も何度もメルの顔をのぞいた。

翌朝、メルを届けるドライブとなった。
その前に、白い花を棺に入れようと近くの花屋にふたりで行った。
店頭には菊と榊ばかり。下町の花屋だ。
いえ、白い菊ではなく。
あとはトルコキキョウと白百合しかなかった。
どちらもメルのイメージでない。
こういう時は、夫の好きな花にすればよいと思って、
ビタミンカラーのガーベラを提案した。
明るくて、楽しくて、メルらしい。
夫も賛成すると、黄色いガーベラを10本選んだ。

本当に車の好きな犬だった。
病院に行った最後の日、
降りたくないそぶりを見せて、
いつまでもシートの上に伏せっていたことを思い出し、
そんなひとつひとつが車に乗っていても、
涙につながった。

結城のまちは遠い。
本当なら、この日は常磐道を通って
教職者研修のため、メルも乗せて塩原まで行っていたはずだ。
それがメルの棺を運ぶ旅になろうとは、
2週間前までは、思いもよらないことだった。
今を大切に生きなくては。
メルが手渡してくれたメッセージだった。

外の風景がどこまでも水田に変わった。
約束した場所で、犬好きの奥さんが待っていた。
メルを彼女の車に移し替え、本当にお別れとなった。
彼女が、大きなカサブランカを抱えきれないほど手渡してくれた。
イースターには、百合の香りに慰められる。
そんなことを書いた昔のエッセイを覚えていてくださったのだ。
人の優しさに、涙が出る。

帰りの車の中にメルはいなかったけれど、
代わりに百合の香りが満ち満ちていた。
復活、永遠の希望の香りだ。
そしてこのブログを書いている今も、
リビングは百合の香りであふれている。

犬という家族を失ったと同時に、
たくさんの人たちから愛を与えられた。
失うと得る。
これが神さまの愛の特性なのだと、
メルが残していったメッセージがここにもある。

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メルの耳が好きで、よくこの後ろ姿を撮っていました。
車の窓を開けると、顔を出して眺めるのが好きでした。
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これも同じアングル。
ボーダーらしく、耳をぴっと立ち上げて周りを観察します。
歩くと耳がふんふんと揺れ、
私は天使の羽のようだと思っていました。
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さよなら、メル。


こころに届くことばたち。好評発売中のエッセイです。



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by Annes_Tea | 2015-07-03 21:01 | ボーダーコリーのメル
犬を見送る♯2 病名がわかるまで

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病気がわかってからは、毎晩メルを担架のようなものに乗せて運び、
土間からリビングに移して夜をいっしょに過ごしました。
それでも、寝るときは土間に帰りたがるのは、
決まった場所にこだわるボーダー気質のせいでしょうか。


5月29、朝の散歩から帰る途中、
メルがへたり込んでしまった。
畳屋の前で腰が抜けたようになり、
身動きできなくなった。
夫は慌てて私の携帯に連絡したが、
間が悪いことに、私は朝シャン中だった。
朝風呂の習慣はないのだが、
こういうときにかぎって、いつもと違うことをしていたりするものだ。
夫が21kgあるメルを抱きかかえて帰宅したとき、
私はのん気にドライヤーをかけていた。
後で携帯を見ると、夫から着信が2度入っていた。

ちょっとこれ、尋常じゃない。
心臓発作かもしれない。
私はとにかくドライヤーのバワーを全開にして髪を乾かし、
その日の予定をすべてキャンセルすると、
車で動物病院へ連れていくことになった。

この日は、早朝から職人さんが来て、
会堂の屋根のペンキを塗っていた。
7年ぶりの作業、やはりこんなときにかぎって。
車を使うためには、
大型車を二台動かしてもらわなければならなかった。

木曜日の朝、平日にも関わらず、
動物病院の待合室は人と犬と猫とであふれていた。
メルは病院が嫌いだ。
吠えはしないが、待合室でぴよぴよと鳴く。
平安時代、犬は「ひよ」と鳴き、それから「びよ」となり、
江戸時代に「わん」となったと聞いたことがある。
ならば、メルの鳴き声は、室町時代あたりだろうか。
なだめてもすかしても、いっこうにぴよぴよを止めない。
私たちはダメ飼い主のように顔を真っ赤にして、
すみません、と周りに謝るのがいつものパターンだった。

ところがこの日、メルは文字通り、うんともすんとも言わない。
へたりこんだまま、息が浅い。
確かにただごとではない。
緊急性を受付に訴え続けたものの、
結局、3時間待つことになった。
ようやく「石川メルちゃん」と呼ばれて診察室に入ると、
虚脱状態だと判断され、すぐに酸素室に入れられた。
検査の結果がわかるまでに、さらに2時間必要とした。
犬を飼うとことの大変さを、11年目にして知ったわけだ。

症状から心臓疾患かと思われたが、
心電図では異常がなかった。
血液検査でも問題が見当たらない。
X線検査、超音波、 CRP検査と、
ひと通りの検査を受けることになった。
いずれも臓器の数値にひっかかるところはなく、
「椎間板ヘルニア」の可能性を指摘された。
骨のレントゲンに黒ずんだところが少しだけあり、
どこかにぶつけた古い傷ではないかという。
そういえば荒川のサッカーゴールに体当たりしたことがあったけ。
私たちはまだ気軽な気持ちで説明を聞いていた。

この日、ステロイドとビタミンを処方され、
ようやく病院から解放された。
診療費明細を見て、軽くたまげる。
大変だねぇ、痛くて息もできないほどだったんだね、
早くよくなるんだよ、とメルに言ってきかせる。
あんたは車が大好きだから、
腰にきちゃったかしらね。
私もヘルニアを患った経験があるので、
同士のような気持ちで話しかけた。

2、3日は近くの公園までゆっくり歩く程度の散歩に切り替えて、
おとなしく過ごした。
それが、1週間もすると病気の症状が消え、
荒川河川敷まで行けるようになった。
いつのころからか、
平日は、近くをメルと一周するのが私の担当で、
朝の長い散歩はさぼりがちだった。
ごめんね、メル。
気持ちをしゃんとし直して、
毎朝、2人と一匹で出かけるようにした。
家族みんなでの散歩こそ、
メルが犬人生でいちばん愛していることだもの。
再診時、院長がメルの満ち足りた表情を見て、
薬が効いたようですね、と嬉しそうに励ましてくれた。
よかったね。
人間も犬も、幸せなひとときだった。

6月12日、ふたたび散歩中にメルが歩けなくなった。
原因をより精密に探すため、
専門の施設で MRIの検査をするかどうかと問われたが、
全身麻酔をすると聞いて断った。
12歳なのだ。人間で言えば天国に近付いている年だ。
無理に全身麻酔をしたり、切ったり開いたりする気にはなれなかった。
おまけに費用が高過ぎた。

私たちの判断を聞いて、
院長はふたたび血液検査と超音波検査を行った。
その日、私は小学校の仕事があったので、
後は夫に任せて1日を過ごした。
昼休みにメールでメルの安否を夫に尋ねると、
「よくはないです。帰ってきたら説明します」という一文が返ってきた。
その文面を見た瞬間、なぜだか予感した。
ああ、メルとの別れがもうすぐなんだと。
悲しいというよりも、
不思議な気持ちだった。
こんなに長くいっしょに暮らしてきた犬と、
別れるときが本当に来るなんて。

夕方、帰宅すると、
食卓につくようにと夫に促された。
聞きたくない気持ちが心の奥底にあったのか、
まずはひと息ついてから、お茶を飲んでから、
などとだらだらしようとする私を、
夫は理解しかねたようだった。
大切なことなんだよ、と真顔で言う。
うんうん、わかってる。
だから、ちょっと待って、という気持ちだった。

超音波の検査で、今回は膵臓に腫瘍が見つかった。
どうやらそこから出血しているらしい。
肝臓にも影がある。
12歳という年齢、そして膵臓という部位を考えると、
膵臓を摘出しても、よくなるかは疑わしいという。
止血剤を注射して、経過観察することになった。
がんだった。
メルの最初の友だちだったゴールデンが、
がんとわかってお腹を開いたら、
手の施しようがなく、
病院で、しかも飼い主さんのいない手術台で、
そのまま息を引き取ったことを思い出していた。
手術はしない、させたくない。

6月15日は、夫がメルを病院に連れて行った。
再度、血液検査をしてもらうと、
数字は驚くほど悪くなっていた。
あまりにも進行が早い。
リンパ腫かもしれないという。
もしも「血管肉腫」ならば、
手の着けようがないと、最初の段階で聞かされていた。
組織検査の結果、
そのまさかの「血管肉腫」だと判明した。
大型種に多い原因不明の病気で、
ひじょうに恐いものだという。
数日で脳にまでがんが広がり痛みに苦しむようになる。
今の医療にできるのは、
痛みをコントロールすることくらいだ。

「あと数日」。
夫の声が震え、テュッシュで目をぬぐった。
私は悲しみよりも、
現実感を失って、ぼんやりしてしまった。
20代のころ、立て続けに親しい人を突然亡くしたことがある。
その時と同じだった。
水槽の中に自分がいて、
厚いガラスの外で話している夫の声が、
くぐもって聞こえているような感覚だ。

「なんでも好きなものを食べさせて、
行きたいところに行って、
できるかぎりいっしょに過ごすようにと言われた」
と夫は続けた。
あと少しなんだ。与えられた時間は少し。

いつものように土間にいるメルは、
いつものようにおまんじゅうのように丸まっている。
頭をなでると、私の心を閉じ込めていた厚いガラスが砕け散り、
涙があふれ、止まらなくなった。

その日を境に、
メルが大好きだった荒川河川敷までの散歩はできなくなり、
教会の庭で用を足すのが精一杯だった。
残りの時間をできるだけいっしょに過ごすこと。
教職者研修に泊りがけで行く予定だったので、
かえって何も用事を入れていなかった。
事情を話して二人とも研修はキャンセルし、
メルとの時間を優先した。

おなかに血がたまっていく病気なので、
下手に動かすのもよくない。
血管が破れて、さらにそれを手立てとしてがんが広がるらしい。
貧血なのか、熱があるのか、息が荒い。
それでも、私たちといる時間がいつもより多いせいか、
メルはすこぶるご機嫌な笑顔を見せ続けた。
熱のせいか、きらきらと光る瞳。
ふだん一週間で食べきる袋入りのおやつを、
一日一袋食べる王子さまのような待遇に、
メルは嬉しくてたまらなかったに違いない。

いやしてください、と私たちは祈った。
苦しまないようにしてください、とも祈った。
私たちの教会は、犬を飼っている人たちが多く、
メルの病気はみんなの祈りの課題となった。
フェイスブックでメルの病状を友人たちに知らせると、
祈っているとのメッセージが続々と届いた。

日曜日、ひときわ犬好きのフィリピン人のSさんとJさんが、
礼拝の後でメルのために祈りたいと申し出てくれた。
メルがひょこひょこと機嫌よく庭まで歩いてくるのを見た途端、
Sさんが大きな声を上げて泣き出した。
彼女も昨年、自分の犬を見送ったのだ。
ぐしゃぐしゃに泣いている私たちの勢いに、
ボーダーコリーらしく目線を外してよそ見する。
泣いて祈る大人の女性たちと、
女性たちに取り囲まれて困り顔の犬と。
側から見れば、さぞ奇妙な場面だったろう。

神さまの小さなプレゼントだったのか、
メルはしばらく小康状態が続き、
「数日」は引き伸ばされているように見えた。
庭まで自分で歩き、自力で用を足した。
上手に薬だけ選り分けてしまうので、
犬用のチーズに包んでそっとごはんに忍ばせると、
はぐはぐと喜んで食べてくれた。

次の日曜日、
「メルに会いたい人がいれば牧師館にどうぞ」
とアナウンスした。
11年前、同じような時期に犬を飼い始めたご家族が、
ひと目合わせてね、と真っ先に声をかけてくれた。

私たちと出会うまで、
メルは人とも犬とも触れ合いのほとんどない生い立ちだったせいか、
しつけがきちんと入るまで、トラブルの連続だった。
少しでも相手が緊張を見せると、
メルの顔は能面のようにこわばり、
羊飼いの本性を剥き出してにして、相手の足に牙を当てる。
噛み付くことはなく、威嚇するだけなのだが、
大きい犬なのでかなり迫力がある。
じつは、このご家族は、メルの牧羊犬根性の犠牲者でもあった。

久しぶりの対面だった。
土間でクロワッサンのような姿で寝ているメルは、
彼らが声をかけても顔を上げなかった。
もちろん威嚇することもなく、静かに横たわっていた。
メル、メルちゃん、おばちゃんですよ、
と犬好きの彼女は何度も声をかけた。
あの強い姿を見せていたメルはどこにもいなく、
みんなが涙ぐんでいた。

諦めて立ち去ろうとしたその時、
メルがふと見返り美人のようなぐあいに振り返って、
彼女をじっと見た。
数秒のことだった。
見たね、うんうん、見た。
それがメルには精一杯のサヨナラだったのだろう。

その次の日曜日には、
メルが死んだことをアナウンスすることになった。
あの時会えて本当によかった、と彼女は再び涙ぐんで言った。

e0165236_00414766.jpg
メルがわが家に来たころの写真。
目は虚ろで、尻尾は毛が抜け落ち、体重は14㎏。
栄養失調だと獣医から診断されました。
初めの愛を忘れないようにしようと思い、
この11年間ずっと冷蔵庫に貼ってあったものです。
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がんだとわかった夜。元気そうで、病気には見えません。
この夜は、私とたくさん記念撮影をしました。


こころに届くことばたち。好評発売中のエッセイです。



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by Annes_Tea | 2015-07-02 00:57 | ボーダーコリーのメル
犬を見送る♯1 ボーダーコリーのメルが死んだ日
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6月25日12時45分、メルが死んだ。
病名がわかってから2週間弱、
闘病というにはあまりに短い時間だった。

1歳半で処分寸前のところを引き取り、
11年間を牧師館でともに暮らした。
私専用の裏口の土間がメルの居場所だった。
築70年は経とうとする古家だから、
壁のしっくいはところどころ剥げ落ち、
お世辞にもすてきだとは言えない場所なのだが、
犬というものは文句ひとつ言わない。
置きっ放しのガーデニングブーツをかじるでもなく、
ふだんは夫がこしらえたパイン材のすのこの上で、
おまんじゅうのごとくまんまるになって満足していた。
いつでもどんなときでも、
「おやつ」と「おさんぽ」のふた言を心待ちにして、
私たちふたりといっしょにいる時間を、
おやつ以上に愛している犬だった。

メルの犬人生は、12歳と半年だった。
ボーダーコリーの寿命は、
13歳から16歳くらいが平均だと聞いていたから、
納得のいく年数だったのがせめてもの慰めだ。
そうはいっても、
あまりにも急なことだったので、
病名を聞いてからは、悲しくて悲しくてしかたなかった。

最後、大きく2回、息を吸おうとしてかなわず、
ブルーアイ側の目だけを見開いて息を引き取った。
「ぼくの好きな方の目を見せてくれているのかな」と夫が言った。
顔をそっと上げてみると、ブラウンアイの方は眠ったように閉じていた。
完全に寝たきりになったのは死の前日だけで、
その前の日まではおやつも食べた。
しかも、1週間分のおやつを1日で食べるような勢いで。
「好きなものを好きなだけ食べさせてあげて、
思うぞんぶんかわいがってあげてください」
と獣医に言われていたので、
ふだんはおやつの量に厳格な私も、
甘々、めろめろな人格に変貌して、
2週間、メルの気がすむまでおやつをあげた。

メルが息を引き取ったとわかった瞬間、
夫と私は何度もメルを呼んだ。
メル、メル、戻ってきて。
ああ、もうだめだ。
そう悟ったときに出てきたことばは、
「ありがとう」、ただこればかりだった。
メル、ありがとう。
うちに来てくれてありがとう。
犬が与えてくれた豊かな時間が、
かたまりのように一気に私の心に流れてきて、
ありがとうということば以外、何も浮かばなかった。

メルの病名がわかったとき、
最初にメルの顔を見たときも同じような気持ちになった。
何を考えるでもなく、「ありがとう」ということばが出てきた。
不思議なくらい、何度でも、何度でも、
自分の口が言っているのだ。

そして、私は泣いた。
メルが死んで、私は「びょおびょお」泣いた。
どういうわけか「びょおびょお」という擬声語が、
遠い記憶の中から立ち上がって、私の頭に浮かんだのだ。
江國香織の『デューク』という作品にある表現で、
愛犬を亡くした21歳の主人公が、
幼い子どものように「びょおびょお」泣く。
これを読んだのはものすごく昔のことだから、
いったいどんな回路でつながったのか本人にもさっぱりなのだが、
電車の中で泣いている主人公のことまで思い出していた。
読んだ当時の私は、結婚もしていなかったし、
まして犬とは挨拶すらしたことがなかった。
犬という存在は、例えばグリーランドという土地と同じくらい、
遠くて未知で知らない相手だった。

メルはまず助からない。
こう知ってから、私はありのまま悲しもう、
泣きたければ泣こう、と決めていた。
気持ちを抑え込んだり、我慢するのはやめよう。
ほとんど決意に近い気持ちだった。
悲しいときにじゅうぶん悲しめば、
心は健全に回復するのだから。

夫はびょおびょおとは泣かなかった。
男の人は、ちょっと違うのかもしれない。
ちょっと違うけれど、私が初めて見る泣き方ではあった。
このうえなく優しさにあふれた涙で、
そんな夫の姿を見せてくれたメルに、
やっぱりありがとうと言いたくなった。

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メルの好きな場所は、夫の足の上。
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死の3日前。私にやたらとくっつきたがりました。
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よく笑う犬でした。人間もメルも大好きだった軽井沢で。

こころに届くことばたち。好評発売中のエッセイです。



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by Annes_Tea | 2015-07-01 17:31 | ボーダーコリーのメル
雪の日、犬たちと歩く
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最近、メルにできた新しい友だちは、
コッカー・スパニエルの穏やかな二匹だ。
礼拝の後、雪の中を歩こう、
ということになったのだけれど、読みが甘かった。
荒川の土手は、片栗粉のような雪がとけて、
まったくもうひどいありさまだった。
優雅に雪の中を駆け回るなど夢のまた夢。
犬たちも、さっさと帰りたい顔をする。

仕方がないので、
アスファルトの上を、少しだけ一緒に歩いて解散した。
この写真は、解散直前の記念撮影のつもり。
残念ながら、犬同士は知らんふり。
友だちにしたいのは人間の思惑だけで、
犬たちはどうでもよいのだ、ほんとは。
メルにあまりにも友だちがいないので、
社会性を今さらつけられれば、などと私が妄想してのこと。

メルはオスに寛容になれないから、
じゃれついて来ようものなら、
ボーダーコリーの一撃でえいっと威嚇する。
噛むことはないのだけれど、
その早いこと、強烈なこと。
初対面でこの一撃をくらった二匹は、
今や、メルを見ると、尻尾をふって後ずさりする。ごめんね。

メルは自分のテリトリーに入ってこなければ、
威嚇も吠えもしないから、
一見すると仲良く歩いているようには見える。
でもね、
こうして写真を撮ってみると、
犬同士の気持ちがそのまんま映っているから面白い。

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今朝の教会はこんな感じ。礼拝後、ユースたちに雪かきしてもらって、なんとかここまで。まさに小さいおうち。いじらしいですね。この古い建物も、そろそろ限界かしら、と思うこのごろです。東京の雪の日曜日、来られない人も多く、いつもと違う雰囲気で始まった礼拝でした。

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by Annes_Tea | 2014-02-09 23:11 | ボーダーコリーのメル
ボーダーコリーがいっぱい

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年内最後の写真は、と探してみたら、これが見つかった。
犬たちが笑顔だからいいかな?
夫が教えているインターナショナルスクールで生徒たちの美術展を開いたとき、
先生コーナーとして隅にこっそり飾ってあった。
夫は学校で、こんなものを描いていたとは。ほぼ趣味ですね。
見覚えのある犬たちは、みんなメルの友だち。
さて、メルはどれでしょうか?

2014年、人も犬も笑顔があふれますように!

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by Annes_Tea | 2013-12-30 15:58 | ボーダーコリーのメル
絵本『ずーっとずっとだいすきだよ』を手渡すとき
少し前なんですが、ゴスペルシンガーの岩渕まことさんの息子さんご夫婦が営むカフェに、メルと遊びに行きました。岩渕家のブギーとメルは、以前、一緒にピクニックに行ったことがありますが、オスとオスなので、いまひとつでした。この日は、ブギーくんの気配だけ感じて、メルは車で留守番。カフェに行きたいのは人間なので。ごめんね。
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クリスマスと締切りと学校の仕事と落ち葉掃き。
最近の私の暮らしの多くを占めているものだ。
なんだか気持ちがぱんぱんなので、
ブログに向かいたくなった。この習性って、何かな?

メルのことをまったく書いていないことに気付いた。
メルとの暮らしは、あまりに日常なので、
そういえば最近、写真も撮っていなかったかな。

というわけで、秋ごろの写真をアップ。

知り合いが、今年、愛犬を失い、
まさかのペットロスだと聞いたばかり。
クリスマスつながりで、最近お目にかかる機会があったので、
絵本を手渡してしまった。
今は読めなくても、そのうち手にとってもらえれば、と。

その絵本は、実際にペットロスになった知り合いが、
犬を失ってしばらくしてから読んで、
心にすとんときたそうだ。
今、仕事をしている小学校でも、
先生のひとりが子どもたちにすすめていた。

ずーっと ずっと だいすきだよ (児童図書館・絵本の部屋)

ハンス ウィルヘルム / 評論社



少し前に、読みました、とのハガキが届いた。
「久しぶりに泣きました」とも。

今年はいろんな絵本に出会えた年だった。

アドベントシーズンの教会の子ども会は、
続きものの絵本を読んでいる。
読みながら、クイズやゲームをしていくので、より楽しい様子。

明日はいよいよアドベント3週目。
来週は、原稿はひとまず脇に置いて、
子ども会やクリスマス礼拝の準備かな。
今年は4日間の連続イベント続き。
なんでまた、と思うのだけれど、
こういうところは、牧師はあんまり気にしないみたい。
牧師の妻は、走るしかないか。
メルの散歩に、ゆっくり行けそうにないな。とほほ。

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ナチュラルなエントランス。

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マグカップでいただくコーヒーはたっぷり。いけてます。

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by Annes_Tea | 2013-12-14 20:18 | ボーダーコリーのメル
雨の中、メルと宮沢賢治と
「冷やしデザート」セット。杏仁豆腐とみつ豆、あんこと沖縄の黒蜜付き。小さいスプーンで食べにくさと格闘しながら食べるのも、おままごと的で楽しいかな。宮沢賢治の読書会でお出ししました。
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あっという間の梅雨明け。
丸一日、庭の水やりを怠ったただけで、
今朝、鉢植えがたいへんなことになっていた。
葉はからから。丸まってひからびて息も絶え絶え。
わわわ。ごめんね、と謝りつつ、
ひからびた葉をむしるも、
あまりの強い日差しに庭仕事を断念して手を止めた。

夕方から雨という予報など軽くみて、
礼拝後、のんびりしてからメルの散歩に出たら、
どんぴしゃり、やられた。
あっと思って空を見上げたら、
大粒の雨がどかどか落ちてきた。
みるみるうちに大雨。
ご機嫌なメルは、雨など気にしない風だったけれど、
人間たちは河川敷の高架下に逃げ込んだ。

空は明るいのに雨は止まない。
見上げるとうっすらと虹が二重にかかっている。
このところ、ずっと宮沢賢治を研究していたせいか、
河川敷の風景を賢治の目で見ると、
どんな具合の描写になるものかなどと想像して雨の中を過ごす。
メルはそういう思索には無関心で、
さしてくんくんするような関心事も少ないらしく、
早くここから出ていきたいような顔をする。

メルは空を見上げない。
犬の関心は、いつも地面だ。
地面にはどんなメッセージが書いてあるのだろう。
などと、まだ賢治かぶれ。

でも、賢治を調べれば調べるほど、
あんまり気が合いそうにないことを痛感する。
嫌いではないし、
繰り返し読みたいような作品も多いし、
「雪渡り」の擬音語擬態語など、それはもう好み。
でも、腑に落ちない感じがいつもどこかにあって。
その正体が、今回の読書会でだんだん見えてきた。
この件に関しては、またそのうちに。

明日も晴れるかな。

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by Annes_Tea | 2013-07-07 23:39 | ボーダーコリーのメル
雪の日、ボーダーコリーは

大雪の朝、遠くスカイツリーとメル。
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昨夜は東京がまた雪になると言うので、
越冬隊さながらの完全防備で出かけたら、
小雨にもならず拍子抜け。
めったに使わないナイロンのデイバックを背負い、
L・L・Beanの頑丈なブーツまで履いて行ったのに。

今日も雨に終わった。
今年の大雪は、成人の日が最初で最後かな?
先週のウクレレ教室では、
せめて曲だけでもホットにしようと、
「ブルーハワイ」をみんなで練習した。
ところが、今夜のウクレレ教室では「雪やこんこん」。
これが人間の心理なのかもしれない。
ないものねだり。常夏と雪。

東京の冬に対する自分の中にあるイメージを探ると
雪の風景が立ち上る。
というのも、大雪が降った翌年、
神戸に引っ越すことになったからだ。
家の前の芝生広場のようなところで、
雪だるまを作って大騒ぎした記憶が私の中の東京の冬である。
幼稚園児だった昔の話なので、
その記憶が本物なのか、
あるいは、後で写真で見た記憶なのかどうか。

ま、そんなことはあまり関係がなくて、
東京の冬=雪だるま、
という図式は私だけのもの、
というところがかんじんなのだ。

神戸に次いで、札幌で2年ほど暮らしたのだが、
この経験で冬のイメージはまた大きく変わった。
根雪というものが降り積もる夜がある。
ある日を境に、一面が真っ白く包まれる。
これは本当に驚きだった。

雪は嫌いではない。
ただ、雪が解けるのは大変だ。
土やほこりと交じって、
町中がどろどろになっていく。
とくに東京の場合は、そのどろどろ状態がひどい。
雪が逃げていく場所がそもそも町にはないのだから、
あっちこっちに黒い固まりが残っていく。
その黒い固まりに関心を持つのは、
子どもと犬だけだ。

たくさんの犬が犬ならではの方法で、
そこにオリジナルの手紙を書いているのだろう。
メルも熱心に匂いをかぎ、
そうして、自分も手紙を書いていく。
雪の解けた町を犬と歩くと、
立ち止まる回数がいつもの倍以上になる。

今年はメルの話題が多いのは、
ちゃんと散歩に行っている証拠。
これはいい傾向かな。
昨年は、かなりサボリぎみだったから。

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こうして撮ると、荒川河川敷に見えない!? なんかピントが甘い。寒さ負け。

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by Annes_Tea | 2013-01-22 21:36 | ボーダーコリーのメル
砧公園を犬と歩く
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成人の日、外は雪。
こういう日は、家にいられる幸せをかみしめる。

本当は、朝から予定が二つあったのだが、
どちらも雪のためキャンセルとなった。
昨夜、時間をかけて準備をしたことだったので、
残念な気持ちが混じりつつも、
雪の日に出ずに済むのはやはりほっとする。

あまりの雪に、メルは恐れをなしたのか、
ドアを開けてもいつものように勢いよく駆け出さず、
じっと丸くなっている。まるでネコだ。
犬はコタツならぬ、玄関のタタキで丸くなる。

退屈と寂しさで、夜になってからぎゅんぎゅん、
という奇妙な声で私たちを呼ぶ。
部屋の中に呼んでくれよ、
寂しいんだよ、
と聞こえるのは犬バカのせい?
犬バカ度が高いのは、
私ではなく夫の方なので、
かわいそうにね、とか何とか言ってリビングに抱えてきた。
メルはお腹を見せてひとしきり狂喜乱舞した後、
まったりと満足そうに夫の脚にくっつく。

先日、久しぶりに、という言葉では間に合わないほど久しぶりに、
世田谷の砧公園にメルと出かけた。
世田谷美術館の松本竣介展を見たがったのは私の方で、
夫の目的はどちからと言うとメルとの散歩である。
絵と犬と美術館でのランチ。大好きな組み合わせだ。
砧公園は、入り口が違うと、ずいぶん印象が違う。
昔はときおり遊びに出かけたものだが、
まるで景色が違って見える。
下町墨田に暮らして久しくなったせいか、
それとも犬と一緒に来たせいだろうか。

芝生に入ると、
犬は禁止です、というアナウンスが流れる。
監視されているの?
いや、たまたまタイミングが合ってしまったようで、
時間が来ると、同じアナウンスが流れる。
「愛犬の散歩道」なるものを歩くのが無難なようだ。
枯れ葉のクッションをざくざく歩くメルの顔は、
一瞬にして笑顔になる。
これがメルの本来の表情なんだろうな。
いつもせせこましい下町の中、
犬や人や車や自転車たちとバトルしながら歩くのだから、
顔も変わろうというもの。

わたしたちもざくざく歩いて嬉しくなる。

1月、2月は気をつけないと。
日照時間が短いせいもあって、
ふとしたことで落ち込みやすくなるからだ。

メルとざくざく。これが沈まない秘訣かも。

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犬の散歩道。
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冬の椿があちこちに。
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散歩道を抜けると、芝生の広場。どんぐりと松かさがたくさん。

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by Annes_Tea | 2013-01-14 20:41 | ボーダーコリーのメル


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