下町すみだ牧師館暮らし文筆家、宮葉子のブログ             
by Annes_Tea
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宮 葉子 yoko miya
文筆家+牧師の奥さん


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墨田区のふたつの拠点を中心に、子どもの本のロングセラーを読むゆるやかなサードプレイス。幅広い年代が参加されています。


つながる・祈る・分かち合う「pray&hopeプロジェクト」を主宰。月に一度、女性たちの集まりをもっています。
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新しく生まれる日

e0165236_22555024.jpg←「毎朝、目を覚ますと、ああ今日も天を目指して歩む一日が始まったって思うのね」という80代のAさん。天国で、いろんな人に再会できるんだろうな、なんてわたしもときどき想像します。


イースターが終わってひと息つく間もなく、
なんだかんだと走り回っている。
4月から1年生のクラスまで担当することになったのも理由のひとつ。

そう、1年生 ! 
ついこの前まで幼稚園に通っていた子どもたちだ。
教室が小さいので全員が集まるとみつばちぶんぶん状態になる。
でも、みんないい子のみつばちちゃんたちだから、
今のところ心配がなくてうれしい。

初対面のときは、さすがに一人一人緊張していたけれど、
そのうちに境界線をやすやすと越えてこちら側へ来てくれた。
話しているうちに手をつないできたり、
パパの話を懸命にしてくれたり。
いいなぁ、と思う。
それで、
わたしも目線と姿勢をぐっと低くして、
子どもたちとの境界線をひょいと越えてみる。

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新しく始まると言えば、
この前の日曜日はイースターなので、洗礼式が行なわれた。
新しくキリストとともに人生を始める最高のお祝いの日だ。
でも、洗礼を受ける当人は、
そんなにお祝いに値することなのだろうかと思うのが普通のようだ。
わたしのときも、教会の人たちの方が自分自身より何倍も喜んでいたように覚えている。
そのうれしさがわかってきたのはもっとずっと後のことだ。
聖書には、天国でもみんなで大喜びしていると書いてある。
いちばん喜んでいるのはイエスさまなのだろう。


今朝、会堂に入ると、イースターの香りがまだ色濃く残っていた。
イースターの香りというのは百合の花のことだ。
毎年、イースターに百合を飾るのには理由がある。
百合の花は冬枯れの姿がひどく、完全に死んでしまったかのように見える。
ところが、
春になると不思議とみごとに蘇って、
遠くまで香りを漂わせながらその姿を地上に輝かせる。
その様が、イエス・キリストの復活と重なるところから
百合がシンボルとして用いられるようになったのだ。
たまごを飾ったり食べたりするのもだいたい同じような理由からだ。
固い殻を被ったたまごは外から見るぶんにはいのちがあるようには見えない。
けれども、
その殻を打ち破って新しいいのちが誕生する。

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日曜日の朝、
「ものすごい香りですけれど、大丈夫ですか?」
と、洗礼を受けるKさんに尋ねると、
「何がですか?」
と言われてしまった。
不思議なことに、Kさんには百合の香りが感じられないようなのだ。
それでわたしは、
百合の色が黄色と白であることや、
どこに置いてあるのかといった様子を詳しく説明する。
ちょっとだけでもイメージが浮かんでほしくて。
というのも、Kさんは数年前に視力を失われたからだ。
当たり前のように見えていたものが見えなくなったとき、
ふと何十年も前に一度だけ来たことがあるこの教会を思い出したのだという。
よかったなぁ、思い出してくれて。

人は心底行き詰まったようなときどこへ行くのだろう?
わたしはよく、こんなことを考える。
教会を尋ねて来る理由は、人それぞれだ。
アメリカでは今、経済不況の不安から、
ビジネスマンたちが教会に大勢訪れていると聞いている。
とはいえ、
べつに悩みや試練がなくてもいっこうにかまわない。
実際、とくに大きな問題はないけれど、
好奇心もあって、「ちょっと来てみました」という方もいる。
そういう気持ちも、いいな、と思う。

洗礼式は、単なる始まりなので、すべてはここから。
それなのに、ゴールなのだと勘違いしている人が少なくない。
まだベビークリスチャン、つまり、生まれたてなのだから、
教会というホームで愛されて、イエスさまの愛を受け取り続けて、
そうして育っていくものにもかかわらず、途中で家出してしまう人も少なくない。
残念ながら、それでは健康に育つものも育たない。
これもよく考えさせられることのひとつだ。

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お祝い会ではびっくりプレゼントがあった。
教会の二人がKさんにボイスレコーダーを贈ったのだ。
その中の一人のTさんは使い方を説明した後で、
自分とキリストとの出会いについて書いた文章を静かに読み上げて吹き込んでいた。
Kさんに聞いてもらいたかったようだ。
こういう風景もなんだか愛しい。

教会のみんなからは寄せ書きに変えて、声のメッセージを贈った。
事務室の机に置いたカセットコーダーに向かって一人ずつ神妙な顔をして話しかける。
そんな姿を懐かしく感じたのは、
転校が多かった子ども時代、
遠く離れた友だちとテープで声のやりとりをよくしていたからだ。
メールも携帯もなかったあの時代、つながり続ける頼りといえば、
手間をかけることをいとわず、
友情という思いを持ち続けることだったように思う。

わたしが声のメッセージとして選んだ聖書のことばはこれだ。

「だれでもキリストのうちにあるなら、
 その人は新しく造られた者です。
 古いものは過ぎ去って、
 見よ、すべてが新しくなりました」 

おめでとう!
これからですね。

e0165236_22583961.jpg←イースターの忙しさで、いつものようにメルにも我慢の多かった数日。たくさん散歩に行こうね。

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by Annes_Tea | 2009-04-15 23:16 | 牧師館で暮らす | Comments(0)
被害者裁判参加制度に思う
Excite エキサイト : 社会ニュース


e0165236_2374845.jpg内容的には最初の一歩かもしれないけれど、本当に貴重な一歩だと思う。おめでとう、そしてお疲れさま、と言いたい相手はたくさんいる。でもいちばんに伝えたいのは、やはり犯罪被害者の会の代表、岡村弁護士にかな。

2000年1月、世間はミレニアムで浮かれ騒いでいる年に、この会は結成された。わたしも創設当時からのメンバーとして、最初のシンポジウムに参加した。わたしが事件にあったのはもう少し前なので、まだ「犯罪被害者」ということばも、まして「被害者支援」や「被害者の権利」といった概念も、世間にはほとんどなかったころだと思う。当時の気分と言えば、いつまでもいつまでも井戸の底に座って、遠い空を眺めているような感じだった。なんて出口は遠いんだろう。もう2度と出られないかもしれない・・・。そんなとき、犯罪被害者の会が始まるかもしれないというニュースを耳にして連絡をとったのが岡村弁護士だった。

わたしが体験した事件は、明け方近く、窓を破って見知らぬ男が侵入し、ナイフで殺されそうになる、という内容である。最初からナイフの奪い合いに終始し、結局、自分で持ってきたナイフで怪我をした犯人は、階下の家に逃げ込み、その間に近所の人がしてくれた通報で、犯人はすぐさま逮捕となった。わずか30分足らずの出来事だったのだが、それまで生きてきた時間のすべてが覆される体験だった。本当に、人生とはもろい。でも、今こうして牧師の奥さんとしてたくましく生きている自分を見ると、人生とはしなやかだ、とも言える。

犯人の罪状は、家宅侵入罪、銃刀法違反、そして強姦未遂、である。この最後の4文字は、粗悪品のレッテルを貼られたようで、ものすごく悩んだことのひとつである。後で考えると、ナイフで殺されそうになったことがいちばん怖かったのだが、でも、そのナイフがあったことによって、犯人の目的が大きく崩されたのは幸いだったわけだ。殺人未遂か、強盗未遂か、それとも、というところで、決め手になったのが、犯人が「やらせろー」と繰り返し叫んでいたというわたしの証言である。このことは、警察に何度も質問された。

刑事事件なので裁判があると東京地検の検事から説明された時、自分のための裁判なのだと思っていた。法律とは無縁できたのだから、そうなんだ、とただ単純に考えていた。でも、それが犯人のための裁判であり、その人のために証人として出廷を求められているとわかって、なんだかなぁ、という気分になった。担当した検事が女性だったこともあり、その当時にしては多少の配慮があったのだろう。犯人と顔を合わさずに行なう期日外公判というものにしてもらえた。

でも、それを説明するときの検事の台詞はいただけなかった。「女性が襲われる事件の傍聴は、マニアがいて人気があるんですよね」と言う。人気かぁ。被害者の心情を司法関係者が考慮するようになったのは、ずっと後のことである。彼女は、「男性になど頼って生きていく必要はない」というようなことも言い(プライベートで何かあったのですかね?)、さらに、実際に性犯罪被害にあった女性たちの事例をあげ、「本当にあなたは何もされなくてよかった」と言って励まそうとしたのも、まずかった。こちらは尋常ではない心理状態である。見知らぬ女性たちのリアルな災難は、そのまま自分のこととして、わたしの心に恐怖の感情を伴って、その映像イメージが入り込んできた。自分の記憶ではない記憶と折り合いをつけるべく、相当苦しい思いをした。いまでも、その彼女たち(もちろん面識はない)はどうしているかしらと、ふと、辛くなることがある。

期日外公判は、家裁のような場所を利用して、私が証言するだけの短いものだった。確かに小さい部屋だったが、入ってみるとずらっと若い人たちがわたしの席を取り囲むように座っている。後でわかったのだが、彼らは司法修習生だったらしい。事前にこちらへの承諾は必要ないの? なんだかな。

わたしの事件の場合、犯人は前科6犯であり、面識もない上、こちらには何の落ち度もなかったので、本来ならば、わざわざわたしが証言する必要もないはずだったらしい。それを、国選弁護人がややこしくしたらしく、出廷となったようだ。本当に、その国選弁護人は的外れなことばかり尋ねるので、裁判官にも途中で遮られていた。たしかに裁判での体験はいやなものだったが、たとえ証人尋問の一貫だったにせよ、自分の気持ちまで話すことができたのは、ナイフと同様、結果的には幸いだったのかもしれない。

被害者裁判参加制度が始まると、被害者はまた新たな苦しみを負うことになるかもしれない、というようなことをある識者の意見として読んだ。その通りだろう。内容も限られている上、そもそも裁判とは被告の人権を守るというスタンスで行なわれるものだから、被害者側に立つ弁護士登録も滞っていると聞いている。それでも、このために長年働きを続けてきた人たちのことを思うと、やっぱりおめでとう、と言いたい。

裁判の後、数日して、裁判所から封書が届いた。それには、期日外公判に出向いたときの交通費の明細と小銭が同封されていた。手紙も何もなし。それはそうだろうけれど、以来、日比谷公園の前にある東京地検に行くこともないし、あの女性検事から連絡が来ることもない。そんなもの、なのである。

それにしても、あの時、よくぞ犯人とナイフの奪い合いなどという大胆なことをしたものだ。じつは、その夜、サラ・パレツキーの女探偵が派手に戦う推理小説を読んでから寝たのだ。わたしには滅多にない選書だった。ハイヒールで悪い男を蹴り上げる、そんな映像を抱いたまま、眠りに落ちた。わたしが戦い抜けたのは、読書の力、少しはそれがあったように思う。


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↑(左)メル1歳半、わがやに来たばかりのころの姿です。難しい性格なので、里親が見つからず、兄弟犬たちの中でただ一匹残っていたところをわたしたちと出会いました。(右)こちらは最近のメル。わたしちと一緒だとよく笑ようになりました。確実な変化、です。いい方向に。大切なのはhope!
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by Annes_Tea | 2009-01-25 23:14 | 牧師館で暮らす | Comments(0)
続・ある日、家がなくなったら?


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←寒くなってきましたね。朝、わがやの柱時計がよく止まります。手巻きの柱時計って、気温が10度を下回ると、動くのを止めてしまうことがあるのだとか。本当ですか? 機械とは会話をしないとね、と言いながら、忙しい朝の時間にせっせと夫がねじを巻いています。



e0165236_0293426.jpg年越し派遣村の働きが、少しずつでも進んでいるようですね。すごい、すごい。専門知識と志のある人たちが集まってひとつになる時、状況を動かす力が発揮されるものなんだな、とあらためて。ただ、“最後の一人まで”となると、本当に大変なことだと思う。今回の働きの中心をになう「自立生活サポートセンター・もやい」については、わたしも昨年ネットで調べたことがある。いよいよ相談に行こうかしらと思っていたところ、事態が急展開をして行かずに済んだ、という話を少し。長いのですが、おつきあいください。

ことの発端は、「どうしよう、家がなくなっちゃう」というSさんのひと言だった。いつものように朗らかな雰囲気で祈り会に来たSさんだったが、分かち合いをしている時に、こんな発言が飛び出したのだ。個人的なことなので、詳しくは話せないが、要点はこうだ。都営住宅の更新時期がきたので、いつものように手続きに行ったところ、窓口の人が書類をあれこれ見たあげく、ひと月以内に部屋を明け渡すようにと、突然、勧告されたという。えっ、そんなことあるの? ひとり身のSさんは、終の住処として15年ほど前から都営住宅で暮らし続けてきたのに。

今でも時々仕事をしている元気なSさんだが、さすがに80歳近いので、話の筋がこんがらがって、今ひとつ状況と問題点がつかめない。翌週、再び祈り会に来たSさんに状況を尋ねてみると、立ち退き期限が刻一刻と迫る中、どうしていいのかさっぱりわからずにいるだけのようだった。おせっかいを焼かせてもらっていい? Sさんとも話し合って、まずは都営住宅の仕組みからネットで勉強してみることにした。同時に、都営住宅に詳しい人を探す。このあたりは、だれかが困った時に奮起するクリスチャンの特性のうれしいところ。良きサマリヤ人ならぬ、良きおせっかい人がたくさんいるのですね。ほどなく専門知識を持つ人と連絡がとれ、おかげでSさんの状況がだんだんと見えてきた。

簡単に言うと、使用継承権にからんだことだった。名義変更をすれば住み続けられる可能性はありそうだったが、それにしても手続きやら書類やら、複雑過ぎてわたしの頭でもなかなか理解できない。まして、高齢のSさんが、窓口で通りいっぺんの説明を受けてもわかるはずがない。Sさんは経済的な理由から新聞をとっていないし、テレビもない。インターネットなんてもちろんない。派遣村に来た人たちは、新聞やネットで情報を知ったとインタビューで答えていた。でも、高齢者の場合、そういった現代のライフラインを持たないことも多いのだから、よくわからないまま突然家を失うこともありうるわけだ。

ある時から、都営住宅の使用継承の基準がとても厳しくなり、母子家庭などは窮地に立たされているらしい。ただし、特例があり、Sさんは高齢者ということで使用継承権を獲得できそうなこともわかってきた。どうする? とにかく二人で一緒に窓口に出かけることにした。それにしても、わたしたちの関係を聞かれたらどう答えようか。Sさんは「教会の牧師夫人です」と答えると言う。たぶんそれって何よ、と言われるのがおちだろう。本当のこと、つまりわたしたちは友だちなのだと言えばいいよね。

e0165236_0303450.jpgどう見てもでこぼこコンビの二人が都営住宅の窓口に行くと、怪訝そうな顔をされた。そうして、Sさんを見るや、「退去でしたよね。今日は手続きですよね」と言う。そうじゃなくて、住み続けたいので来ました、と私が言うと、相手はますますわたしを不審そうに見る。でも、関係までは聞かれずにすんだ。Sさんと立てた作戦はこうだ。ことばを控えること(うるさがられないように)。でも、住み続けたいということ、他にはどこにも行く場所がないということだけは、力強く、きちんと伝えること。もうひとつ、窓口の相手に対して、感謝を示すこと。最後の一つは、ヘンテコな作戦だけど、係の人に親身にかかわって助けてもらわなければ、わたしたちの半端な知識ではどうにもならないからだ。

最初、窓口の人たちとのやりとりは難航をきわめたのだが、とにかくこの作戦を忍耐強く続けていくうちに、なんと、風向きがあるところで変わり始めた。要するに住み続けたいわけですね、とか何とか言い出したのだ。なんで気が変わったのかな? そうして、結果を言うならば、大団円でめでたし、めでたし、である。結局、この日から2か月近くかかって、Sさんは使用継承を認められた。

でも、この日の窓口で思い知らされたのは、係の人たちは、住宅に困っている人のために存在しているわけではないということだった。こちらからしつこく尋ねなければ、住み続けるための方法を教えてもらえなかったし、たとえその方法を聞いても、高齢者には内容を理解することがとても難しい。わたしの隣で話を聞いていたSさんに後で聞くと、ちんぷんかんぷんで、さっぱりだったと言っていた。そうよねぇ。本当に難しい話だったよね。それに、「わたしたちは○○さんが住み続けられるように勧めているわけではありませんからね。ただ情報を伝えているだけです」なぁんて、念を押されたし。都営住宅って、いったいどんな志で存在しているんだろう。まあ、相手が何と言おうと、とにかくわたしたちの作戦を完遂すべく、最後は、しつこくしつこく係の人にお礼を言って、二人で手をとりあって喜んで見せた。もちろん本気で安心したのだけど、ちょっと大げさだったかな。

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今日、そのSさんと久しぶりに会った。本物の終の住処となって、今年は部屋の大掃除にはりきっている毎日なのだとか。幼稚園からもらったアップライトのピアノがあるというので、きれいに片付いたらピアノを弾きに行かせてね、とわたし。今年はSさんの家でお茶会ができそうだ。楽しみ。



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↑メルの第二のおうちは車の中。車の中にいると安心する様子です。わたしは中学時代、車の中だと暗記がはかどるので、期末試験前、車にこもったこともありました。変ですかね。
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by Annes_Tea | 2009-01-15 00:41 | 牧師館で暮らす | Comments(2)
自転車に乗って山谷地区へ


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上は白髭橋から見た浅草方面の景色(朝)。下は反対の南千住方面です(午後)。南千住地域は、最近、ウォーターフロント計画なんちゃらと言って、おしゃれに変貌しつつあります。いまだにトタン屋根や崩れた家(わがや?)が残る鐘ケ淵側(つまり川向こう)から行くと、あまりの落差にくらくらします。
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この川沿いにはたくさんのブルーシートのおうちがあります。荒川や隅田川のホームレスの炊き出しは、その多くが韓国の教会によって支えられています。私も近くの韓国系の教会の炊き出しに参加させていただきましたが、毎週の準備を考えると、ただもう感心するばかりです。



宣教師のサンディさんに会うため、いわゆるドヤ街と呼ばれる山谷へ向かった。
白髭橋を渡って、そのまま明治通りをずんずん行き、
泪橋の交差点を左折すれば、もうそこが山谷地区だ。
サンディさんの働いている事務所は、いろは商店街の中にある。

この辺りは、家から遠くはないが、自転車で行くことは少ない。
手持ちの地図には、つけた覚はないのだが、鉛筆でまるく囲って「danger」と注意書きしてある。
下町で暮らし始めたころ、珈琲で有名なバッハに行こうとして、
労務者風のおじさんたちの群れをかわしているうちに、
結局、いろは商店街に紛れ込んでいたことがある。
なにしろ、山谷は初めての経験だったので、
すえたに匂い、はっきり言えばオシッコの匂いがもうもうと立ち上る路地に驚いた。
誰に教えられなくても、ああ、ここが山谷なんだな、とわかる。

山谷地区には、特別な使命を持って仕えている牧師や宣教師が大勢いる。
この季節、教会堂を開放して、
冬が終わるまでホームレスの人たちを宿泊させている牧師家族もいる。
冬の野宿は高齢者には厳しく、
毎年何人も野外で亡くなっていくのを、少しでも助けたいという思いからだ。
サンディさんも、1991年にカナダから来日して以来、
山谷で暮らしながら仕えたいと最初から願っていたそうだ。
実現したのがその7年後。偶然にも、来日したのとまったく同じ日付けだったという。

この日は、『声なき者達のための声』という冊子の企画をした
アメリカ在住のコーディネイターに依頼中の講演会の打ち合わせだ。
サンディさんとは友達になって日が浅いけれど、
だれでも優しく受け入れてくれるので、
こちらはずいぶん前からの知り合いのような気でいる。
でも、山谷で仕える思いを聞かせてもらったのは、これが初めてだ。

交番を曲がって、いろは商店街に入ると、
男の人たちが朝からお酒を飲んで大騒ぎをしていた。
やっぱりオシッコの匂いがすごい。
でも、いやだという気持ちにはならなくて、
これが今の日本なんだな、と静かに思う。
なんであれ、一緒に騒ぐ仲間がいるだけ幸せなのかな。

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宣教師のサンディさんの事務所です。外からはわかりませんが、中は奥行があって迷路のよう。ああこれぞ、下町のつくりなんだな、と嬉しくなる建物でした。
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2階へ上がるとさらに扉があり、開けてみるとこんな景色でした。垂直?とも思える梯子を降りて、さらに奥の建物へ行けます。向島もびっくりですね。
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猫のサムくん。いつも22kgある犬を見慣れているので、猫のパーツが何もかも小さくて、つい何枚もパチリ。

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by Annes_Tea | 2008-12-02 20:18 | まちを歩く | Comments(0)


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